Simon

醸造所直営の酒場にて、キャベツの酢漬けを添えたソーセージとともに、ビールジョッキを傾けながら、バイエルン出身のSimonと

 

ーー

この間、大西洋の離島に調査に行った際、教授の紹介で、ある企業の技術者も帯同していいたんだよね

ドローンを飛ばして植生の様子を見るっていうんだけど、その企業はウクライナを支援していて、まぁ要はロシア兵を殺すような兵器を作ったり、売ったり、教えたりしてるんだよ

低空飛行の有翼のドローンで、地上の解像度は㎜単位

技術そのものはすごいと思うけど、今後も彼らと一緒に活動したいとは思えないね

ウクライナ、ロシアどちらが正しいっていう議論とは全く別に、軍需産業と一緒に仕事をしたくないな、と

教授はそこんところはあまり気にしていないようだけど、やはり学問、大学は軍需産業や政治からは独立しているべきだと思うよ

 

Sebastian

食堂でサラダバーの生野菜をぼりぼり食べながら、イタリア北部、アルプス域出身の博士号後期のSebastianと

 

ーー

さっき見た地図にベニスがなかったって?

ベネチアがある場所は、もともと潟湖だったから、虫も多くて、不衛生な場所だったんだよね

ローマ帝国や北のゲルマンから逃れるように不便な地に街を築いたんだよ

石造りの建物が沈まないように、湿地に木製の杭を打ち込んでね

ベネチアがどう出来上がったか、調べると良いよ、感動するから

その後交易で栄えるんだけど、造船用の木材を供給するために、アルプスの山域も領土に取り込んだんだ

だから、俺は山出身だけど、ベネチアへの帰属意識は強いね

アドリア海沿岸の、バルカン半島の港もベネチアの支配下にあったんだよ

ベネチアの市章には獅子が描かれていてね、周辺の村や町の紋章にも獅子が載ってるんだよ

なんでもかんでも、キリスト教や逸話に基づいていて、全てを理解するのは難しいよね

 

ところで、俺が育ったのは人口1万人に満たない、山間の小さな町でさ、皆顔見知りだから、人の目があって悪いことできないんだよね

友だちの親戚が町長、みたいな感じでさ

友だちとファミコンやるために、役場の多目的室を借りていたよね

スーパーマリオ楽しかったなぁ

 

そうそう、隣り合う村同士がいがみ合っていてね、

あっちは白い小麦を使うけど、こっちは黄色い小麦を使う、という風になんでも異なるんだよね

だって、1kmくらいしか隔ててないんだぜ

近くのもの同士の方が、諍いがあるもんだよね

今だって、俺の叔母さんが、自分の村の商店が閉まっているから、隣町の商店で黄色い小麦を買った時、その店主から、「おぉ、こっちの小麦の方が旨いだろう」と嫌味を言われるんだってさ

まぁ冗談だけどね

そんな田舎もまだあるんだぜ

Viktoria

ドイツ語の試験後に食堂でコーヒーを啜りながら、口頭試問のペアだった、ウクライナ人のVikrtoriaと

 

ーー

はぁ

はい、そこ、みんな認識が間違っているんだよね

ロシアとの戦争は2014年にクリミアとドンバスで始まってるの

なにも2022年2月からじゃないんだよ

私は22年の第二次侵攻前にはドイツに来てたから、難民ってわけではないんだけどね

 

日本では防衛費を増やしてるって?

いいね、賢い選択だね、どんどんやるべきよ

戦うしかないんだよ

占領されたら死ぬより酷い扱い方されるのは目に見えている

だって、私たちは実際に、数百年間そうされてきたから、知ってるの

近所のスラブ食品店では、ロシア侵攻前の国境で描かれた地図が入荷している
ロシア人も多く訪れる商店だが、これは店側の政治的な意図を反映しているのか、
否、全くもって気にしていないのかも

へぇ。前にウクライナ来たことあるんだ?どこがよかった?
あ、オデッサとキエフしか行ってないのね

私は西部のリビウ出身でさ、ここら辺はオーストリア=ハンガリー帝国支配下だったから、綺麗な建築が多いよ

東部より文化的っていうのかな

ぜひ遊びに来てね

Salma

夕焼けに包まれた広場でBBQ大会の最中、ビール瓶を傾けながら、キャミソールを纏ったパレスチナ出身のSalmaと

 

ーー

乾杯!

パレスチナからドイツに移ってきたんだよね、今年で二十歳になったとこ

大学でコンピュータサイエンスを専攻してるんだ

えっ?Gazaなのか、West Bankのどちらの出かって?

いやいや、言っておくけどパレスチナの国土はこの二つに限らないからね

あの辺り一帯は全部パレスチナなんだよ

はいはい、あんたが言いたいことはわかるよ

それでもどこ出身かって訊かれたら、West Bankと答えるかな

 

うちの家系はサマリア人でね、

そうそう、聖書で善きサマリア人って紹介されている、あれよ

よく知ってるね

あたしさ、Kamilah(ペンシルベニア出身)と同じ寮に住んでいるんだ

今度一緒に水煙草でも吹かそうよ

Hedayatullah

ドイツ語の授業後の空き教室で、どんよりとした雪景色を見ながら、カブール出身のHedayatullahと

 

ーー

いやぁ、さっきはラップトップ貸してくれてありがとうね

お陰でオンライン試験を受けることができたよ

高いからなぁ、なかなか買えなくてね

 

前にも言ったかもだけど、隣町から電車で20分かけて、この大学の初等ドイツ語講座に通ってるんだ

この後は、2時間だけamazonの配送センターでバイトなんだよね、まぁひたすらスキャンするだけよ

昨日なんか、午前2時から10時までのシフトだったわ

まぁ深夜だから2割5分増で、時給13ユーロが16ユーロになるって感じ

でもそこから所得税とかで30%天引かれるんだけどね、シャイセッ!

 

日本ってどう、住みやすいと聞くけど

日本で知っていることと言えば、1945年にアメリカに原爆落とされたことくらいかな

 

隣町に住んでいるのは、ドイツ政府から宛てがわれた住宅があるからなんだよね

不便だから、ホントは大学のあるこの街に引っ越したいんだよな

俺は半年くらい前にドイツに着いたよ、タリバン政権がほとほと嫌になってね、国を出たんだ

奴らは女子供を大事にしないんだ、もう爆破なんていちいちニュースにならないよ

俺が生まれて21年、この時代は人もいっぱい殺された

奴らはアメリカからお金を貰ってパキスタンからやってきて、まぁアフガン人も交じってるけど、やりたい放題、金のためなら何でもするんだよ

高校出てからは、親父と中古車販売業をやってたんだ

でも昨年に、親父、お袋、兄ちゃん家族、奥さんと小さな子供二人で、先ずはカンダハル経由でバスを乗り継いで、南西部に向かったんだ

ブローカーには大人一人に対して1000ユーロも払ったんだぜ

最後の町、なんて言ったっけな、からはくたびれたピックアップトラックで、岩石だらけのところを走ったんだよ、荷台はめっちゃ揺れたな

そうそう、衛星写真だとこの辺、道なんてあるわけないよ

アフガニスタンのパスポートは持ってたけど、ビザがないからね

行く先々で、イランの警察に車は止められたけど、俺らは荷物の中に隠れてなんとかやり過ごしたんだ

イラン‐トルコ国境の検問所で、何故か俺だけ通過が認められたんだよ

家族とはそれっきり、連絡もつかないし、今どこにいるかもわからない

ドイツで会えるって信じてるけどね

俺はそのあと、イスタンブール、ギリシャからバルカン半島を北上して、時には長距離を歩いたりして、ウィーンに着いたときはホッとしたね

幸運にも俺は早い方で、カブールを出てから一か月でドイツのキャンプに着いたんだ

遅い人は半年から1年くらいかかるんだよ

当局に申請して、認められて、それで今に至る、と

二十歳になる彼女もいたんだけどね、相手方の両親が他の男と強制結婚させちゃった

まだ彼女のことが忘れらないんだよね、こんなこと他人に言うのは初めてだよ

 

この間のドイツ語の授業で、自分たちの国の人が普段何をしているか、写真を見せながらみんなの前で話した回があったよね、

normalerweiseとか、Leuteとか使ったじゃん

あん時、みんなは気づかなかったかもしれないけど、俺は泣いちゃったよ

 

今もウクライナで起こっていることを鑑みるとね、強大な力によって、普通の市民が殺されていると思うと、本当に辛い、彼らのことがわかるからね

ーー

 

気が付くと、教室を出て、二人並んでバス停に向かって歩いていた

粉雪が舞っている

彼はポケットから徐にマルボロを取り出し、お前も吸うだろ、と言わんばかりの表情で、私に一本手渡し、安いライターで火を点けて呉れる

 

こんな辛い経験してるんだ、煙草くらいの楽しみは許されるでしょ、と呟く

Kamilah

賑やかな学食でランチを食べた後に、ヨーグルトやカップケーキをつまみながら、ペンシルベニア出身のKamilahらと

 

ーー

うん、最近はドイツ製戦車をウクライナに送るかどうか、ホットな話題だね

ふうん、ドイツも過去の侵攻の歴史を抱えてるから、武器の輸出には否定的ということね

ドイツも戦争に巻き込まれたら、私たちはスイスでもに避難するかねぇ

スイスは昔っから、どこでも山に穴を掘って作ったシェルターがあるって言うし、今はホテルに転用されてるトコもあるから、快適だったりして

え、そうなの、スイスは昔から傭兵を使ってたんだ、それで周辺諸国といろいろ取引してうまく中立を保ってきたんだね、まぁそんな訳でバンクが強いのか

ミュンヘン駅構内 ウクライナ避難民向けの臨時手続き所への案内

いざとなったらシェルターねぇ

そういえば日本ではみんな地震の時の対応を小さいころから学ぶんでしょ、今地震が起こったらどうする

へぇ、机の下に隠れるんだ

アメリカでは、shooterが入ってきたときにどうするかの対応を学んだなぁ

私がいたような小さな町の近所でも、校内での銃撃事件は起きていたしね

えっ、先週末の春節でも、ロスで銃撃事件があったんだ、知らなかった、ってかありふれたニュースすぎて、、

まぁ、教室の鍵を閉めて、皆で物陰に隠れてじっとする、ってことね

 

Lucia

中世には砦が聳えていたという、郊外の丘のてっぺんを目指し、牧草地の捲き道を歩きながら、ブレーメン出身のLuciaと

 

ーー

週末は彼氏に会うために、片道8時間の列車旅だった

飛行機?は使わないよ

近距離、特に国内移動で飛行機は使いたくないんだよね

フットプリントが大きいでしょ

電車の中はWi-Fiも使えるし、気になる動画を見てれば8時間もあっという間よ

まあ大陸間の移動にわざわざヨットで行くほどの勇気はないけどね、

 

あ、このセーター?いいでしょ、セコハンで買ったんだ

新品を買うのは嫌いなんだよね、だいたいお下がり

通学に使う自転車も実家から持ってきてさ

既に持ってるのに、また買いなおすことは

したくなくてね、遠いけど、電車で運んできたんだわ

 

ただ、このお弁当箱はオーガニックショップで新品のを買ったんだ

ステンレス製でプラスチック不使用

蓋の裏にはシリコンがついてるから、多少の汁物もいけるかもね、パスタとか

Pola

旧市街のクリスマスマーケットでグリューワイン飲みながら、ロストフナドヌ出身のPolaと

 

ーー

今年の2月の少し前から、毎晩夜になると遠くでドォーン、ゴォーンという、聞き慣れない地鳴りの様な音が響いていてね

その後ロシアが一方的に侵攻して、ウクライナが自国の領土を守るために応戦してるのはご存知の通り

ウクライナの自衛戦には正義があるわね

何故このタイミングで進軍したかわからない

ただ、クリミア事変然り、二国間は複雑なのよ

国境の両側、どちらでもない、そしてどちらでもあるような緩衝地帯に住んでる人もいる (クリミア併合と同時期に独立宣言した親ロシア派地域(新ロシア)を指すと思われる)

私の祖母もキエフに住んでいて、その妹はドンバスに住んでる

ただ、ウクライナとロシアに分断されて、二人はそれぞれのプロパガンダを鵜呑みにするもんだから、家族同士でいがみ合うようになってしまった、これが本当に悲しいこと

私も併合前にクリミアの都、セバストポリに行ったことがある

街中どこもかしこもロシア語が話されていて、看板もロシア語、正直、ロシアの地方に居るような感覚だった(もっとも、同調圧力でロシア語のみを話すようになったウクライナ人もいよう)

NATOがクリミアに軍事基地を建設しようとしたから、ロシアが治めたってことになってるけど、ほんとのことはわからない

 

9月に動員令が出されてから、高校の情報科で講師見習いをしてた弟はジョージアに出国したの

 

今回、ドイツに来るにあたって、ロシア人というだけで偏見や差別に遭うかと怯えていたけど、案外何もなかった

まあドイツの変り身にも驚くわよね、先の二回の大戦ではロシアに侵攻したくせに、今は正義の味方って感じで振る舞っている

侵攻した、侵攻された者同士、なんだかロシア人とドイツ人には分かりあえるものがある気がする

 

これらのことは、皆の前で声を大きくして話すことはできないけど、面と向かって一人に対してなら、話せるのよ

まあといっても、私も偏った情報に流されてるかもしれないし、ロシア人と言っても一人ひとり異なる意見や感情を抱いてるから、あまりアテにしないでよ

 

そうそう、学期が始まる前にヨルダン人や韓国人の留学生とも話したんだけどね、朝鮮半島、ベトナム、アフガン等ではアメリカが糸を引いてハチャメチャになったんだ、ウクライナでもアメリカがなんにもしてなかった訳では無いわよね、アメリカにも非がある場合があるってことに、多くの国から来た学生においてコンセンサスー確かに彼女はこう言ったーが取れてることに本当に驚いたわ

アメリカ嫌いはロシアだけじゃなかったんだっ、てね

Liren

日没後、食堂で夕飯を食べながら、雲南省出身のLirenと

 

ーー

どこでもベジタリアン用のメニューがあるのには驚くよね

試しに頼んでみたけど、なんだろ、これ

豆、卵、小麦を混ぜて焼いた分厚いパンケーキのような

うん、ホウレンソウが入ってるね、ソースもかかってて、まぁまぁイケる

 

そういえば、こないだ、あ、誰だっけ、日本の首相、あ、アベだ、の国葬があったんでしょ

あれについてどう思う、賛成、反対?

うーん、やっぱそうよね、第一党が宗教の影響けてて、しかもそれが朝鮮半島由来なんて、そんなことが明るみに出ちゃうとね

なんだか犯人も英雄視されてるっていうじゃない

そうそう、国葬の費用が女王のそれを上回ったっていうのもニュースでやってた、ウケるよね

 

まぁ複数の政党があるだけマシじゃない

日本ではみんな、選挙って行くもんなの?

ウチでは選挙はするけど、裏で全部決まってるんだから、行っても行かなくても一緒なのよ

週末、彼女と郊外を散歩すると、菜の花畑が広がっていた
搾油というより、輪作の中の一コマだとか

例の四通橋の件、あれね

知ってるよ、国内ではヒットしないけど、まぁこっちでなら見れるよね

画像も回ってきた。ほらこれでしょ

慌てて、つい保存しちゃったよ、彼の勇気ある行動を思うとね、保存しておかなきゃって思ってね

捕まっちゃったらしけど、このタイミングでこれだけのことやるとね

本当に残念だけど、望み薄よね

Scrap and Build

この辺りの土地はゴミでできている

コンクリート片、プラスチック、ビニール、金属、ワイヤー、およそ自然分解されることのない成分で構成されているこの土地は、後の世代が掘り返したときに、この地層が人新世(統)かと容易に見分けがつくに違いない

過去の建物は破壊され、同じ土地に新しい建物が建設される

スクラップ・アンド・ビルド

過去そうであったように、文明は上へ上へと更新される

Cubao Expo

日本の高度経済成長期も、このような風景が広がっていたのか
ヘルメット知らずの作業員の手によって、ビルがニョキニョキ生えてくる

マニラは街が若い

毎年来るたびに新しいマンションが建ち、都市高速道路が伸びており、目下は地下鉄やLRT新路線の工事現場から、昼夜を問わず鎚の音が響いてくる

日毎に、海岸には矢板が打ち込まれて土砂が充填され、鉄骨で組まれた脚柱や橋梁にはコンクリートが充填されていく

今年の高速道路Skywayの第3区の竣工により、マニラ市街を南北に高速道路が貫くことになった。それまでマニラの南端と北端が終点だったSLEXとNLEXを接続したことにより、市内の渋滞も緩和され、南北移動が大幅に短縮された

しかもこの区画の建設はODAではなく、国内企業が主導した点も特筆すべきだろう

 

ただ、開業したてのホテルの客室から下を見ると、ホテルの朝食会場の庭の垣根のすぐ向こう側は、いわゆるSquatterの生活が繰り広げられていることがわかる

狭く密集する木材とトタン屋根で構成された街区には、バスケットボールコートが設けられ、夜遅くまで子供がボールをパスして遊んでいる

密集地にもバスケコートを整備する都市計画に注目されたい
避難場所にもなりえるし、またどこでも娯楽が不可欠であろう

他方でショッピングモールは22時まで電飾が煌々と営業しており、今では停電することもなくなった

進行する都市化と、それに抗うかのように、線路や小川沿い、ビルの狭間で生きている人々もいる

夜、ショッピングモールから漏れた光の中でおチンチン丸出しで小さな白い花を売る5歳児を見るや、また常に揺れ続ける歩道橋の上でマスクを売る少女を見るにつけ、つい50ペソ札を渡してしまう

私にとっての50ペソと、今の彼ら彼女にとっての50ペソとでは、どちらの方が価値があるだろう

 

休日にマニラ郊外のBalagbag山に登って(航空写真で見つけた適当な尾根を登っていたら、峠の小屋の警察官に怒られた話は別で話そう)、一息ついていたところ、何台ものランドクルーザーやランドローバーがやってきて、なかからイケイケの(露出度高めな服装をした)若者男女が下りてきた

 

何やら見ていると、給仕と思われる人たちが炭を熾してバーベキューの準備をして、穴を掘ってテントで囲っては即席便所まで用意している

車で山頂に乗り付け、マニラ市街を一望しながら冷えたビールを楽しむ若者もいれば、コロナによるマスク着用義務期間中に未着用の通行人を見つけては警察に突き出すと脅して、罰金より小さい金を揺する若者もいる

因みにこの国の平均年齢は23歳ほどである

 

大都市ともなれば文化の度合いも高く、Antique店も存続できるようだ

飲み屋、バーに加えて、古物商が三件ほど軒を連ねる一角、Cubao Expoを友人に紹介してもらう

日が暮れるとバーは賑やかに、他方で古物商は店仕舞いとなる
ショッピングモールでは見ない輩が集まっているこの街区が良い

MRT3号線のCubao駅から東方に、複数のショッピングモールを通り抜け、General Romulo Avenueを渡ったところにその一角はある

私はその昔、街灯に使われていたという国産の、金属製の電球の傘を購入する

 

同じGeneral Romulo Avenueを挟んだ向かいにも古書を中心とした骨董店がある

また、付近のAli Mallの二階にも”REMNANTS”や、”Guiller's”という名の古物商やレコード屋が立ち並ぶ区画がある

二つの店舗は隣り合っている

REMNANTSでは、Essoの全国道路地図を購入する

古物商に出入りするのは、若い顔ぶれでなく、古い人ばかりだ

マニラは人が若い

Tehran

褶曲山脈は教科書で習った通りであった

飛行機はペルシア湾岸からシーラーズの辺りまで横たわるザグロス山脈を横断していく

これだから窓側に座らずにはいられない

寝不足であったが遂に一睡もせず、眼下に広がる乾燥地帯を読み解きながらテヘランに降り立つ

空港から市内までのバンの中で、英語の拙い運転手から基礎的な情報収集をする

最近の天気から、沿道の作物のこと、車のナンバープレートのゾロ目はテヘラン登録だがそれ以外は田舎もんだということ、コロナの騒ぎはここ半年でだいぶ落ち着いたことまで、喋りたいらしい

市内は朝晩の渋滞がひどいらしく、また盆地様で空気も滞留しやすいので大気汚染が問題となっているようだ

夕飯時のラッシュ時

初めて訪れた街では、先ずは足で歩いて回りたい

願わくば高台から街を見下ろしたいと思うものだ

普段ならカメラを提げてスナップでも撮るのだが、この地では警察やら軍やらが目を光らせているので気を付けたい

テヘランの北方には5000m級のエルボルズ山脈が拡がり、スキー場も点在する
テヘランは凡そこの扇状地に位置している 従い、北郊のサカノウエは高級住宅地や大使館街となり、サカノシタは市場やら胡散臭さが強くなる

市場や露天商を見て回るときには、一応の買い物リストを頭で考えておく

地域色の表れるマッチや、煙草や、両刃剃刀の刃なんかである

あたかも、欲しい物があるためにこの辺りをうろうろしてるんです、という体を繕っている

その方が、場違いの観光客という身から、さらに一歩、街に溶け込めそうな気もするのだ

靴磨きがいると頼んでしまう
靴磨き用の豚毛ブラシや、洗体用の固めの布などもつい買ってしまう

花屋の主人から話しかけられる バイクに跨っている写真を撮ってくれと頼まれる

フィルムだから直ぐには渡せないのだよと伝えると、残念がっている

また進むと、葬式や結婚式用の花輪なんかを作っている別の花屋に話しかけられる

アフガン出身の彼と少し話し込むと、お前は友達だとか何とか言って、煙草を勧められ、一服する

絨毯や土産物店の主人も、コロナ前は日本人もようけ来たもんだとか何とか、なにかと話しかけてくる

彼らはとても気さくで、すこし話すだけでチャイやら煙草やらピラフまで出してくる

 

外を歩くのも良いが、鄙びたショッピングモールもなかなか面白い

両替商や、テーラーや土産物店や、古物商が立ち並ぶそれだ

モール内の階段で屯する放課後の学生 スマホでゲームをやっている

水煙草屋を訪れると、コロナ感染対策なのか、チューブがすべてプラスチック製で、客の度に取り換える仕様になっていた

 

知らない国で床屋を訪れるのも一興だ

髭を剃ってもらおうと、閉店間際のバーバーに入ると、常連客が屯していた

そこの主人は90年代に前橋で過ごしていたらしく、カタコトの日本語を話している

当時、日本にお世話になったからと、髭剃り料金をマけてくれた

今度は散髪に来いよ、と送り出してくれる

シャッターが閉まる直前、二人の婦人が足早にモールを出ていく 西日が眩しい

宗教警察の指導もあり、女性はヒジャブを被っている

が、最近の若者は反抗する向きもあり、緩くかぶる布間から、髪の毛が垂れている子もいる

見てはいけないものを見てしまっているようで、妙な昂ぶりを覚える

Rock'n rollやhard rockなカフェも点在していて、オシャレなカップルが出入りしている

 

今度は電気街を行くと、中国製の他は見知らぬメーカロゴの製品ばかりで驚く

トランプの核合意離脱以降、経済制裁を強化され、日本、韓国含めて西側の製品は入ってこない

これに乗じて自国産業を強化する動きもあるらしく、8000万人の人口に加え、中央アジアやコーカサス等の後背地を抱えるイランでは、産業が十分に成り立つようだ

いわゆる西側に頼らない経済圏がここにあることーまぁ入手しようと思えばトルコ経由で酒でも何でも入ってくるらしいがー、にイランの地域の盟主としての振る舞いや、逞しさを垣間見た気がした

ここでは洗体用のジュート製タオルを買う

ノールーズ前ということもあり、朝晩は寒さが残る時合であった

そのため、ケバブスタンドやカフェのオープンテラス前では、ガスを平気でぼうぼうと焚いて暖を取っている ヒーターよりもエネルギー効率は良さそうだ

地球温暖化の緩和策に逆行する形とはいえ、化石燃料も安く、産油国としての強みも目の当たりにした

 

そんな中、2月24日、宿のテレビの国営英語放送(Press.TV)から、ロシアによるウクライナ侵攻の報に触れた

翌朝、露店の前で拡げられた新聞では、戦車が前進する写真が一面を飾っている

英字新聞のTehran Timesでは、イランは中立を取るだろうことが記載されている

暴力には反対するが、必ずしもロシアに反対、という立場でもないようだ

紙面からビルの壁面まで、反米スローガンは至る所で目にする

このあと、イラン製の軍事ドローンがロシアに輸出され、ウクライナ侵攻に用いられていることが、西側メディアでは盛んに喧伝されることとなる

ウィーンで進められていた核合意復帰に向けた前向きな検討も、白紙に戻るようだ

秋には、ヒジャブ着用を巡り、若年層を中心とした反政府デモも勃発する

 

これから、西側諸国と反欧米的なロシアやイランによる独裁体制との対決、という風に描かれていくわけであるが、市民レベルで見ると、状況は少し違うようだ

私が話した人々は、アメリカや西側文化に抵抗がなく、締め付けの強い政府に対して反感を抱いていることが多かった

 

今回のテヘランで過ごした3週間は、今後のイランの国際関係上の振る舞いを意識させるに十分なほどの同国の存在感を私に刻み付けてくれた

Narita

その日、私には番号881が振られた

 

ーー

日々、数千人が到着する。成田空港

ここでは、大量の日本人の若者や外国人が係員、誘導員として、パソナに雇われている

アジア系の移民は、日本語を勉強する傍ら、母国から来日した同胞と話すことができるので理に適っているかもしれない

一方、外国語を学ぶ日本人にとっても、その勉強したての言語を日本で活用する機会でもある。私がドーハから乗った便には、ブラジルからの乗継便でもあったらしく、複数のブラジル人が搭乗していた

いわゆる監視アプリのインストールをする場では、「ポルトガル語を話せる人ー、次はバングラー」という掛け声が飛び交い、移民労働者に交じって日本の若者も最前線で働くのである

流石はパソナ、と言わざるを得ない。しっかりと国の事業には絡んでくる。同じベストを着させられ、首から「パソナ」のカードをぶら下げた数多の若者がここNARITAで、それこそ朝から晩まで汗を流しているのである

帰国時の抗体検査結果が出ていない区画では、青いビニール製の防護服に身を纏った彼らの姿がご覧いただけよう

一方、どんなものにも例外はあるもので、米軍人と思しき体躯の良い彼らは、そそくさと列の横を通過してあっさりと先に行ってしまった

彼らの健康カードやその付属紙には、SOFA欄にチェックが入っていることが見て取れる

横田ならまだしも、まったくだ

公用旅券でイラクから帰ってきた人でさえ、私の隣で列を成しているというに

 

ここで入国時の流れをおさらいしよう

降機後、全員が整列させられ、係員に連れられて成田空港の、遠いターミナルビルまで歩かされる。その先にはパイプ椅子が一定の間隔を設けて並べられており、順番に座るよう促される。既に別便で到着した、正に老若男女、黒人、白人、アラブ人達が座っている。ここで配布される紙に、誓約書などが含まれており、各々の個人情報を書き込んでいく。ペンが渡されることはなく、各人が持ち込んだペンを使いまわしたり、文章の意味が分からない箇所を教えあったりする光景を目にすることができる

2時間ほど待つと、受付し、ここで番号が付される。私は881番だ

受付の直後に唾液による抗体検査が行われる。881が印刷されたプラ製の試験管が手渡され、目盛まで唾液をためるように言われ、個別ブースに案内される

唾液が出やすいように、梅干しやレモンの写真がラミネートされて目の前の壁に貼ってあるのが微笑ましい

その先では、水色の防護服に身を纏った彼らが待ち受ける

政府謹製の監視アプリを確実にインストールする様に、懇切丁寧に教えてくれるのだ

スマホを持っていない、スマホが古いからインストールできない、なんてことがあっても心配御無用、そのために貸出サービスまで用意されている。1台15,000円を支払ってレンタルする必要がある

位置情報が発信されているか、登録された携帯電話番号とメールアドレスが本人のものであるか、確認される

一つ申し付けると、スマホレンタル費用が返金されることはない

更に階段を登った先では、厚生労働省のサイトにアクセスし、再度個人情報を入力する

入力後に画面に表示されるQRコードをスクショし、先に進む

また新たなブースが現れ、先ほどのQRコードをスキャナーにかざし、本人確認が行われる

便名と座席名まで確実に記録される。それが終わると再び別のパイプ椅子コーナーへと通される

指定されたパイプ椅子に腰を掛ける

抗体検査を終えるまで、飲食禁止となっているため、ここに来ると喉が渇き、お腹も空いてくる

19時に降機したがもう21時半である

5分ほどの間隔で、アナウンスが入る。若い女性の声で、肉声には違いないが、機械的に先程の管理番号が読み上げられる

一回につき10名ほどの番号が呼ばれ、すなわち陰性であった人はその場で次に進む

私が座った直後には710番の人が呼ばれていた。あと、150人も待たねばならぬのか

ここには自販機があり、トイレもあるのでほっと一息つくことができる

もちろん、日本円が財布に入っていれば、の話だが

喫煙者はまとめて、係員の誘導に従って喫煙ブースまで連れられて行く

ここで厄介なのが、番号の読み上げる順番が、必ずしも数字の通りではないということだ

飛び飛びで呼ばれたり、数字が戻ったりするのでおちおちしていられない

22時を過ぎると、「水と食糧を配給しまーす」という掛け声とともに、指定のベストを着た若者がおにぎり、パン、水を配っていく

「おにぎり、2個食べていいですか、」と質問した人は断られていた

そのおにぎりとパンの賞味期限は、正に今日なのである

もちろん、無償であるから文句は言えないが、成田市内のコンビニやスーパーの売れ残りが回されているのか、と想像するにやりきれなくなる

23時を過ぎて、ようやく番号が呼ばれた

赤紙、と呼ばれる陰性証明書が手渡される

赤紙を手に、メインのターミナルまで歩くと、ようやく通常通りの入国審査となる

入国審査は自動受付機でさっさと済ませ、預け荷物のターンテーブルまでの階段を下りる

とっくにターンテーブルは停まっているらしく、大型のスーツケースが床に並べられている

その後、通関し、その先は到着ロビーというところまで歩いていく

「お、このまま隔離されずに鉄道駅まで辿り着けるのでは、」と脳裏をよぎったが、そうは問屋が卸さなかった

到着ロビーを出た途端に、日本語が拙いアジアのおばさんに呼び止められる

「番号は?881ネ。。。はーい、左!」

と言うが早いか、到着ロビーの左の方に連れていかれる

ここで「左」組と「右」組に分けられるのだ

左組は、また20人程度にまとめられ、到着ロビーの端っこの椅子で待機させられる

逃げられないように、黒人の男性職員がー胸にSECURITYとあるのだがーこちらを見ている

私は隙をついて、トイレに行ったり自動販売機でジュースを買って飲んだりした

せめてもの小さい反抗だった

これに続いて、他の人もジュースを買ったりなんだりし始める

監視員は気に留めない様子だ

時刻は23時40分

成田ナンバーの観光バスに乗せられる

行先は表示されていない

ここでも881と記載したカードを係員に提示してからバスに乗り込む

行先は?と尋ねると、

「ウーンと、、ニッコーナリタ」と返ってくる

よかった、地方都市行きは免れた。またこれから延々とバスで仙台まで行くセンは消えた、当たりじゃん、と思った

日付が変わるころ、バスが日航成田ホテルの正面ロータリーに滑り込む

ここでは厳重にマスクとフェイスシールドをしたおじさんが乗り込むやいなや、「一人づつ、降りてもらいます」と言い、前の座席に座っている人から声を掛け、「ソーシャルディスタンス」を保ちながらの下車を管理していた

さてさてフロントにはもう私の名前が予約されているのかな、と思ったのが馬鹿だった

正面玄関横の鉄製の扉、ーいかにも裏口、従業員用ーから入館する

ここでもまた番号が振られた椅子に座って、パーテション越しにチェックインする

対応するのはホテルの従業員ではなく、パソナに雇われた若者たちだ

その後、弁当と水が手渡され、一人づつエレベータに乗るように管理される

「ボタンを押さないでください」と言われる

一階の係員が、半身でエレベータの中の行先階ボタンを押し、到着した六階ロビーには、ここにも複数の係員が待ち構えている

ホテルの廊下には俄仕込みのウェブカメラが、三脚に括り付けられ、廊下を見張っている

私はゆっくりと621号室の扉を開けた

ゴゴゴゴゴゴゴゴ

これから三日間の政府指定隔離施設での生活の始まりだ

DAY0

 

ーー

行先がわからない、これから何が起こるかわからない、という状況の連続である

列になって、待たされ、番号を付され、生体検査され、配給され、番号が呼ばれ、仕分けされ、輸送され、収容される、といった正に例外なく人を管理する仕組みが、飽くまでも任意との名の下に成立していて、且つ国がやっているからしょうがない、という気持ちになってしまうところに恐怖を抱いた

なんだかユダヤ人が収容所に運ばれる映画の中にいるようだ

もちろん私の比ではないが、彼らも、大きな荷物を抱え、悪いようにはされないだろう、と思いながら、管理を被っていたのかもしれない

Amcorp Mall

コロナの影響を受け、SafeTravelの仕組みを用いてマレーシアに入国するには、二週間以上前に旅程を申請せねばならぬ

旅程の中には、移動手段(公共交通機関は禁止)、投宿先、移動時間、会合場所、面会相手の氏名や連絡先を記載してから渡航許可を得る必要がある

空港ではPCR検査して、検査結果が出るまでターミナルで3時間ほど待機させられる

話を聞くと、イギリスやロシアから商談の為に渡馬したようだ。ターミナルの一角が即席の待合室となっている。弁当や菓子、コーヒーも提供される

陰性であれば(陽性なら再検査の後、隔離施設へ)入国できるが、すると、政府が指定したアテンダントが待っている

今回は、旅程に沿って行動する必要があるため、彼女はそれを監視する

朝はホテルから、夜にホテルに戻るまで付き添っている。昼食も一緒に取る

どうやら減便したマレー航空のCAが担当しているようだ

一度、地方都市で彼女と屋台飯を食べたとき、「日本はG something rich countriesなんでしょ、マレーシアに対する国際協力をするけど、実際のところどう思ってるの(G20 やG7を指すと思われる。Global Southを見下してるのか、といった質問のようにも聞こえた)」と聞かれた時には意表を突かれた

 

それはさておき、外国では古物商や古本屋を見て回ると、その土地で使われていた食器や地図やなんかを掘り出すことができ面白い。博物館の蝋人形が身に着けていた装飾具や鞄等が見つかるとつい手にしてしまう

もちろん旅程にはないが、日曜日にAmcorp Mallに足を運ぶ

 

クアラルンプールの西郊、ペタリンジャヤに、連邦高速2号線に面してAmcorp Mallと呼ばれる鄙びたショッピングモールがあり、そこでは隔週日曜日に骨董市が開かれる

これは2年前、2020年3月だったか、コロナが流行しだして、マレーシアでは日本人が避けられていた(当時は日本での感染者数が東南アジア諸国のそれを上回っており、握手を拒否されたり、約束もすっぽかされた)頃に、Masjid Jamek近くのインド人街にある古くて薄暗いモールの二階のレコード屋で仕入れた情報だ

 

これをアテにして、のこのこやってくると、地上階と、吹き抜けとなっている地下では、骨董市が開かれている

こういった、前世紀に建てられたであろうショッピングモールは、どの国でも大抵の場合、紫外線防止だろうか、色付きの、そして埃まみれのガラスが張られている。両替商(閉まっていることが多い)や土産物店(マグネットの他、民芸品もある)や生地店(布には地域性が現れる)、文具店(現地語/通貨が記載の新品の領収書束は買ってしまう)、雑貨店(made in Chinaの色とりどりなプラスチック製玩具)が軒を連ねる

骨董市はというと、個人商店がざっと30店舗くらいはあるだろうか。地下には常設の古本屋や家具屋も立ち並んでいる

16時過ぎには店仕舞いが始まる
機械式時計なんかは人気のようで、おじさんが群がっていた

眉唾ではあるが、マレーの諸王が持っていたとされる、儀式用だろうか、波型の刀剣類、銀食器や擂鉢、またはレコードなんかが出品されている

結局ここではEssoが発行した60年代のマレーシア全土の道路地図、また同年代の中国共産党発行のプロパガンダ満載のマガジン、78年製米国Gillette両刃剃刀を購入

Essoは油売りではあるが、交通量促進のためか、道路地図を発行していたようだ

 

Antiqueとしての骨董市が成立するのは、Rich Countryの証なのではないか、と、アテンダントの彼女に伝えたくなった

Singapore

当地の研究機関に勤めている友人を訪ねて、6年振りのシンガポール

蒲田で一杯やってから二時間後には搭乗して、起きたら着いているのだから近いものだ

 

東海岸公園で麦酒を飲みながら丸太に枕して、沖合に夥しく浮かぶタンカー船を眺める

実にゆっくりとした時が流れる

足だけ海に入る、すると足の裏にはベッタリとタールのようなものが纏わり付いていた

ここいらの海水や砂には油がよくよく含まれているのだろう

 

翌日はアラブ人街で飯でも食べて古本屋を漁るが、目当ての古い地図がなかなか見つからない

そもそもこの島ではアンティーク店、古本屋を探すのは至難であった

シンガポールの交通網は、地下鉄、LRT、バスが統一されていて非常に便利

国立歴史博物館を再訪して、たっぷり二時間ほど過ごした

シンガポールの歴史の中で日本統治時代は4年という短期間であるが、展示の内容が他の期間よりも多く、そして濃く、如何に”昭南島”がここに暗い影を落としていたかがよくわかる

 

西洋人向けに学芸員がガイドしていたので盗み聞きをした

英国統治時代、彼らは華僑に阿片を売りつけ、その思考を奪っていたと説く

阿片窟を再現した、薄気味の悪い展示の一角では子供が怖がっているようだ

旧日本軍の山下中将による電撃的マレー半島の奪取では、英軍と戦力の差は大きくなかったと解説した

迎え撃つ英軍の主力は豪州やニュージーランドからかき集められており、彼らにとっては郷里でもなんでもない、国際都市シンガポールを衛る動機に乏しいと、その学芸員は伝えた

一方の旧日本軍は自転車でマレー半島を南下し、英軍の予想しなかった地点からシンガポールに上陸したらしい

欧米人に占領された東アジアの解放をモチベーションとした日本兵の士気が上回っていたと伝えた

確かにその通りだと思う

尋常小学校で、大英帝国のアジアやタスマニアにおける蛮行を教え込まれた前線の兵隊は、開戦当初こそ、正義感すら持って弾を放っていたことだろう

シンガポール人として、英国、日本側に中立な立場でよく解説していると思う

 

特設展では日、英の統治時代を比較していた

41年以降は食糧や衣料が配給制になり、映画などの娯楽も制限された

皇民化による日本語教育が施され、今でも日本の歌を諳んじる人があることが紹介されている(ビデオで彼らの歌を聴くことができる)

対して英国時代は国際都市として栄華を誇った時であったと言わんばかり、蓄音機が鳴り、アドバルーンが翻り、レースのドレスを着飾ったマネキンが立ち並んでいる

 

そりゃそうだ

昭南島なんかに改名されたのはそれこそ屈辱的であったろう

年表には"Shonan era"として黒色で塗られている

 

我々は、南の島、ハワイ、バリ、サイパン、ルソン、台湾、沖縄、小笠原に遊びに行く度、戦争が頭を過らずにはいられない

いつまで反省が必要なのだろう、多分、いつまでも語り継ぐ必要はあるのだろう

今の小学生はまだ、ギリギリ、戦争経験者から直接話を聞くことができている

ただ、その次の世代あたりから、戦争の悲惨さ、日本が犯した過ちについては、非常に薄れた記憶としてでしか、伝えられなくなるだろう

いまでさえ、市民がだんだん好戦的になっているのだから

 

帰路、見下ろすと、シンガポール海峡に浮かぶタンカーの群が、輸送船や戦艦と重なる