Hedayatullah

ドイツ語の授業後の空き教室で、どんよりとした雪景色を見ながら、カブール出身のHedayatullahと

 

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いやぁ、さっきはラップトップ貸してくれてありがとうね

お陰でオンライン試験を受けることができたよ

高いからなぁ、なかなか買えなくてね

 

前にも言ったかもだけど、隣町から電車で20分かけて、この大学の初等ドイツ語講座に通ってるんだ

この後は、2時間だけamazonの配送センターでバイトなんだよね、まぁひたすらスキャンするだけよ

昨日なんか、午前2時から10時までのシフトだったわ

まぁ深夜だから2割5分増で、時給13ユーロが16ユーロになるって感じ

でもそこから所得税とかで30%天引かれるんだけどね、シャイセッ!

 

日本ってどう、住みやすいと聞くけど

日本で知っていることと言えば、1945年にアメリカに原爆落とされたことくらいかな

 

隣町に住んでいるのは、ドイツ政府から宛てがわれた住宅があるからなんだよね

不便だから、ホントは大学のあるこの街に引っ越したいんだよな

俺は半年くらい前にドイツに着いたよ、タリバン政権がほとほと嫌になってね、国を出たんだ

奴らは女子供を大事にしないんだ、もう爆破なんていちいちニュースにならないよ

俺が生まれて21年、この時代は人もいっぱい殺された

奴らはアメリカからお金を貰ってパキスタンからやってきて、まぁアフガン人も交じってるけど、やりたい放題、金のためなら何でもするんだよ

高校出てからは、親父と中古車販売業をやってたんだ

でも昨年に、親父、お袋、兄ちゃん家族、奥さんと小さな子供二人で、先ずはカンダハル経由でバスを乗り継いで、南西部に向かったんだ

ブローカーには大人一人に対して1000ユーロも払ったんだぜ

最後の町、なんて言ったっけな、からはくたびれたピックアップトラックで、岩石だらけのところを走ったんだよ、荷台はめっちゃ揺れたな

そうそう、衛星写真だとこの辺、道なんてあるわけないよ

アフガニスタンのパスポートは持ってたけど、ビザがないからね

行く先々で、イランの警察に車は止められたけど、俺らは荷物の中に隠れてなんとかやり過ごしたんだ

イラン‐トルコ国境の検問所で、何故か俺だけ通過が認められたんだよ

家族とはそれっきり、連絡もつかないし、今どこにいるかもわからない

ドイツで会えるって信じてるけどね

俺はそのあと、イスタンブール、ギリシャからバルカン半島を北上して、時には長距離を歩いたりして、ウィーンに着いたときはホッとしたね

幸運にも俺は早い方で、カブールを出てから一か月でドイツのキャンプに着いたんだ

遅い人は半年から1年くらいかかるんだよ

当局に申請して、認められて、それで今に至る、と

二十歳になる彼女もいたんだけどね、相手方の両親が他の男と強制結婚させちゃった

まだ彼女のことが忘れらないんだよね、こんなこと他人に言うのは初めてだよ

 

この間のドイツ語の授業で、自分たちの国の人が普段何をしているか、写真を見せながらみんなの前で話した回があったよね、

normalerweiseとか、Leuteとか使ったじゃん

あん時、みんなは気づかなかったかもしれないけど、俺は泣いちゃったよ

 

今もウクライナで起こっていることを鑑みるとね、強大な力によって、普通の市民が殺されていると思うと、本当に辛い、彼らのことがわかるからね

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気が付くと、教室を出て、二人並んでバス停に向かって歩いていた

粉雪が舞っている

彼はポケットから徐にマルボロを取り出し、お前も吸うだろ、と言わんばかりの表情で、私に一本手渡し、安いライターで火を点けて呉れる

 

こんな辛い経験してるんだ、煙草くらいの楽しみは許されるでしょ、と呟く