Singapore

当地の研究機関に勤めている友人を訪ねて、6年振りのシンガポール

蒲田で一杯やってから二時間後には搭乗して、起きたら着いているのだから近いものだ

 

東海岸公園で麦酒を飲みながら丸太に枕して、沖合に夥しく浮かぶタンカー船を眺める

実にゆっくりとした時が流れる

足だけ海に入る、すると足の裏にはベッタリとタールのようなものが纏わり付いていた

ここいらの海水や砂には油がよくよく含まれているのだろう

 

翌日はアラブ人街で飯でも食べて古本屋を漁るが、目当ての古い地図がなかなか見つからない

そもそもこの島ではアンティーク店、古本屋を探すのは至難であった

シンガポールの交通網は、地下鉄、LRT、バスが統一されていて非常に便利

国立歴史博物館を再訪して、たっぷり二時間ほど過ごした

シンガポールの歴史の中で日本統治時代は4年という短期間であるが、展示の内容が他の期間よりも多く、そして濃く、如何に”昭南島”がここに暗い影を落としていたかがよくわかる

 

西洋人向けに学芸員がガイドしていたので盗み聞きをした

英国統治時代、彼らは華僑に阿片を売りつけ、その思考を奪っていたと説く

阿片窟を再現した、薄気味の悪い展示の一角では子供が怖がっているようだ

旧日本軍の山下中将による電撃的マレー半島の奪取では、英軍と戦力の差は大きくなかったと解説した

迎え撃つ英軍の主力は豪州やニュージーランドからかき集められており、彼らにとっては郷里でもなんでもない、国際都市シンガポールを衛る動機に乏しいと、その学芸員は伝えた

一方の旧日本軍は自転車でマレー半島を南下し、英軍の予想しなかった地点からシンガポールに上陸したらしい

欧米人に占領された東アジアの解放をモチベーションとした日本兵の士気が上回っていたと伝えた

確かにその通りだと思う

尋常小学校で、大英帝国のアジアやタスマニアにおける蛮行を教え込まれた前線の兵隊は、開戦当初こそ、正義感すら持って弾を放っていたことだろう

シンガポール人として、英国、日本側に中立な立場でよく解説していると思う

 

特設展では日、英の統治時代を比較していた

41年以降は食糧や衣料が配給制になり、映画などの娯楽も制限された

皇民化による日本語教育が施され、今でも日本の歌を諳んじる人があることが紹介されている(ビデオで彼らの歌を聴くことができる)

対して英国時代は国際都市として栄華を誇った時であったと言わんばかり、蓄音機が鳴り、アドバルーンが翻り、レースのドレスを着飾ったマネキンが立ち並んでいる

 

そりゃそうだ

昭南島なんかに改名されたのはそれこそ屈辱的であったろう

年表には"Shonan era"として黒色で塗られている

 

我々は、南の島、ハワイ、バリ、サイパン、ルソン、台湾、沖縄、小笠原に遊びに行く度、戦争が頭を過らずにはいられない

いつまで反省が必要なのだろう、多分、いつまでも語り継ぐ必要はあるのだろう

今の小学生はまだ、ギリギリ、戦争経験者から直接話を聞くことができている

ただ、その次の世代あたりから、戦争の悲惨さ、日本が犯した過ちについては、非常に薄れた記憶としてでしか、伝えられなくなるだろう

いまでさえ、市民がだんだん好戦的になっているのだから

 

帰路、見下ろすと、シンガポール海峡に浮かぶタンカーの群が、輸送船や戦艦と重なる