Narita

その日、私には番号881が振られた

 

ーー

日々、数千人が到着する。成田空港

ここでは、大量の日本人の若者や外国人が係員、誘導員として、パソナに雇われている

アジア系の移民は、日本語を勉強する傍ら、母国から来日した同胞と話すことができるので理に適っているかもしれない

一方、外国語を学ぶ日本人にとっても、その勉強したての言語を日本で活用する機会でもある。私がドーハから乗った便には、ブラジルからの乗継便でもあったらしく、複数のブラジル人が搭乗していた

いわゆる監視アプリのインストールをする場では、「ポルトガル語を話せる人ー、次はバングラー」という掛け声が飛び交い、移民労働者に交じって日本の若者も最前線で働くのである

流石はパソナ、と言わざるを得ない。しっかりと国の事業には絡んでくる。同じベストを着させられ、首から「パソナ」のカードをぶら下げた数多の若者がここNARITAで、それこそ朝から晩まで汗を流しているのである

帰国時の抗体検査結果が出ていない区画では、青いビニール製の防護服に身を纏った彼らの姿がご覧いただけよう

一方、どんなものにも例外はあるもので、米軍人と思しき体躯の良い彼らは、そそくさと列の横を通過してあっさりと先に行ってしまった

彼らの健康カードやその付属紙には、SOFA欄にチェックが入っていることが見て取れる

横田ならまだしも、まったくだ

公用旅券でイラクから帰ってきた人でさえ、私の隣で列を成しているというに

 

ここで入国時の流れをおさらいしよう

降機後、全員が整列させられ、係員に連れられて成田空港の、遠いターミナルビルまで歩かされる。その先にはパイプ椅子が一定の間隔を設けて並べられており、順番に座るよう促される。既に別便で到着した、正に老若男女、黒人、白人、アラブ人達が座っている。ここで配布される紙に、誓約書などが含まれており、各々の個人情報を書き込んでいく。ペンが渡されることはなく、各人が持ち込んだペンを使いまわしたり、文章の意味が分からない箇所を教えあったりする光景を目にすることができる

2時間ほど待つと、受付し、ここで番号が付される。私は881番だ

受付の直後に唾液による抗体検査が行われる。881が印刷されたプラ製の試験管が手渡され、目盛まで唾液をためるように言われ、個別ブースに案内される

唾液が出やすいように、梅干しやレモンの写真がラミネートされて目の前の壁に貼ってあるのが微笑ましい

その先では、水色の防護服に身を纏った彼らが待ち受ける

政府謹製の監視アプリを確実にインストールする様に、懇切丁寧に教えてくれるのだ

スマホを持っていない、スマホが古いからインストールできない、なんてことがあっても心配御無用、そのために貸出サービスまで用意されている。1台15,000円を支払ってレンタルする必要がある

位置情報が発信されているか、登録された携帯電話番号とメールアドレスが本人のものであるか、確認される

一つ申し付けると、スマホレンタル費用が返金されることはない

更に階段を登った先では、厚生労働省のサイトにアクセスし、再度個人情報を入力する

入力後に画面に表示されるQRコードをスクショし、先に進む

また新たなブースが現れ、先ほどのQRコードをスキャナーにかざし、本人確認が行われる

便名と座席名まで確実に記録される。それが終わると再び別のパイプ椅子コーナーへと通される

指定されたパイプ椅子に腰を掛ける

抗体検査を終えるまで、飲食禁止となっているため、ここに来ると喉が渇き、お腹も空いてくる

19時に降機したがもう21時半である

5分ほどの間隔で、アナウンスが入る。若い女性の声で、肉声には違いないが、機械的に先程の管理番号が読み上げられる

一回につき10名ほどの番号が呼ばれ、すなわち陰性であった人はその場で次に進む

私が座った直後には710番の人が呼ばれていた。あと、150人も待たねばならぬのか

ここには自販機があり、トイレもあるのでほっと一息つくことができる

もちろん、日本円が財布に入っていれば、の話だが

喫煙者はまとめて、係員の誘導に従って喫煙ブースまで連れられて行く

ここで厄介なのが、番号の読み上げる順番が、必ずしも数字の通りではないということだ

飛び飛びで呼ばれたり、数字が戻ったりするのでおちおちしていられない

22時を過ぎると、「水と食糧を配給しまーす」という掛け声とともに、指定のベストを着た若者がおにぎり、パン、水を配っていく

「おにぎり、2個食べていいですか、」と質問した人は断られていた

そのおにぎりとパンの賞味期限は、正に今日なのである

もちろん、無償であるから文句は言えないが、成田市内のコンビニやスーパーの売れ残りが回されているのか、と想像するにやりきれなくなる

23時を過ぎて、ようやく番号が呼ばれた

赤紙、と呼ばれる陰性証明書が手渡される

赤紙を手に、メインのターミナルまで歩くと、ようやく通常通りの入国審査となる

入国審査は自動受付機でさっさと済ませ、預け荷物のターンテーブルまでの階段を下りる

とっくにターンテーブルは停まっているらしく、大型のスーツケースが床に並べられている

その後、通関し、その先は到着ロビーというところまで歩いていく

「お、このまま隔離されずに鉄道駅まで辿り着けるのでは、」と脳裏をよぎったが、そうは問屋が卸さなかった

到着ロビーを出た途端に、日本語が拙いアジアのおばさんに呼び止められる

「番号は?881ネ。。。はーい、左!」

と言うが早いか、到着ロビーの左の方に連れていかれる

ここで「左」組と「右」組に分けられるのだ

左組は、また20人程度にまとめられ、到着ロビーの端っこの椅子で待機させられる

逃げられないように、黒人の男性職員がー胸にSECURITYとあるのだがーこちらを見ている

私は隙をついて、トイレに行ったり自動販売機でジュースを買って飲んだりした

せめてもの小さい反抗だった

これに続いて、他の人もジュースを買ったりなんだりし始める

監視員は気に留めない様子だ

時刻は23時40分

成田ナンバーの観光バスに乗せられる

行先は表示されていない

ここでも881と記載したカードを係員に提示してからバスに乗り込む

行先は?と尋ねると、

「ウーンと、、ニッコーナリタ」と返ってくる

よかった、地方都市行きは免れた。またこれから延々とバスで仙台まで行くセンは消えた、当たりじゃん、と思った

日付が変わるころ、バスが日航成田ホテルの正面ロータリーに滑り込む

ここでは厳重にマスクとフェイスシールドをしたおじさんが乗り込むやいなや、「一人づつ、降りてもらいます」と言い、前の座席に座っている人から声を掛け、「ソーシャルディスタンス」を保ちながらの下車を管理していた

さてさてフロントにはもう私の名前が予約されているのかな、と思ったのが馬鹿だった

正面玄関横の鉄製の扉、ーいかにも裏口、従業員用ーから入館する

ここでもまた番号が振られた椅子に座って、パーテション越しにチェックインする

対応するのはホテルの従業員ではなく、パソナに雇われた若者たちだ

その後、弁当と水が手渡され、一人づつエレベータに乗るように管理される

「ボタンを押さないでください」と言われる

一階の係員が、半身でエレベータの中の行先階ボタンを押し、到着した六階ロビーには、ここにも複数の係員が待ち構えている

ホテルの廊下には俄仕込みのウェブカメラが、三脚に括り付けられ、廊下を見張っている

私はゆっくりと621号室の扉を開けた

ゴゴゴゴゴゴゴゴ

これから三日間の政府指定隔離施設での生活の始まりだ

DAY0

 

ーー

行先がわからない、これから何が起こるかわからない、という状況の連続である

列になって、待たされ、番号を付され、生体検査され、配給され、番号が呼ばれ、仕分けされ、輸送され、収容される、といった正に例外なく人を管理する仕組みが、飽くまでも任意との名の下に成立していて、且つ国がやっているからしょうがない、という気持ちになってしまうところに恐怖を抱いた

なんだかユダヤ人が収容所に運ばれる映画の中にいるようだ

もちろん私の比ではないが、彼らも、大きな荷物を抱え、悪いようにはされないだろう、と思いながら、管理を被っていたのかもしれない