Tehran
褶曲山脈は教科書で習った通りであった
飛行機はペルシア湾岸からシーラーズの辺りまで横たわるザグロス山脈を横断していく
これだから窓側に座らずにはいられない
寝不足であったが遂に一睡もせず、眼下に広がる乾燥地帯を読み解きながらテヘランに降り立つ
空港から市内までのバンの中で、英語の拙い運転手から基礎的な情報収集をする
最近の天気から、沿道の作物のこと、車のナンバープレートのゾロ目はテヘラン登録だがそれ以外は田舎もんだということ、コロナの騒ぎはここ半年でだいぶ落ち着いたことまで、喋りたいらしい
市内は朝晩の渋滞がひどいらしく、また盆地様で空気も滞留しやすいので大気汚染が問題となっているようだ
初めて訪れた街では、先ずは足で歩いて回りたい
願わくば高台から街を見下ろしたいと思うものだ
普段ならカメラを提げてスナップでも撮るのだが、この地では警察やら軍やらが目を光らせているので気を付けたい
市場や露天商を見て回るときには、一応の買い物リストを頭で考えておく
地域色の表れるマッチや、煙草や、両刃剃刀の刃なんかである
あたかも、欲しい物があるためにこの辺りをうろうろしてるんです、という体を繕っている
その方が、場違いの観光客という身から、さらに一歩、街に溶け込めそうな気もするのだ
花屋の主人から話しかけられる バイクに跨っている写真を撮ってくれと頼まれる
フィルムだから直ぐには渡せないのだよと伝えると、残念がっている
また進むと、葬式や結婚式用の花輪なんかを作っている別の花屋に話しかけられる
アフガン出身の彼と少し話し込むと、お前は友達だとか何とか言って、煙草を勧められ、一服する
絨毯や土産物店の主人も、コロナ前は日本人もようけ来たもんだとか何とか、なにかと話しかけてくる
彼らはとても気さくで、すこし話すだけでチャイやら煙草やらピラフまで出してくる
外を歩くのも良いが、鄙びたショッピングモールもなかなか面白い
両替商や、テーラーや土産物店や、古物商が立ち並ぶそれだ
水煙草屋を訪れると、コロナ感染対策なのか、チューブがすべてプラスチック製で、客の度に取り換える仕様になっていた
知らない国で床屋を訪れるのも一興だ
髭を剃ってもらおうと、閉店間際のバーバーに入ると、常連客が屯していた
そこの主人は90年代に前橋で過ごしていたらしく、カタコトの日本語を話している
当時、日本にお世話になったからと、髭剃り料金をマけてくれた
今度は散髪に来いよ、と送り出してくれる
宗教警察の指導もあり、女性はヒジャブを被っている
が、最近の若者は反抗する向きもあり、緩くかぶる布間から、髪の毛が垂れている子もいる
見てはいけないものを見てしまっているようで、妙な昂ぶりを覚える
Rock'n rollやhard rockなカフェも点在していて、オシャレなカップルが出入りしている
今度は電気街を行くと、中国製の他は見知らぬメーカロゴの製品ばかりで驚く
トランプの核合意離脱以降、経済制裁を強化され、日本、韓国含めて西側の製品は入ってこない
これに乗じて自国産業を強化する動きもあるらしく、8000万人の人口に加え、中央アジアやコーカサス等の後背地を抱えるイランでは、産業が十分に成り立つようだ
いわゆる西側に頼らない経済圏がここにあることーまぁ入手しようと思えばトルコ経由で酒でも何でも入ってくるらしいがー、にイランの地域の盟主としての振る舞いや、逞しさを垣間見た気がした
ノールーズ前ということもあり、朝晩は寒さが残る時合であった
そのため、ケバブスタンドやカフェのオープンテラス前では、ガスを平気でぼうぼうと焚いて暖を取っている ヒーターよりもエネルギー効率は良さそうだ
地球温暖化の緩和策に逆行する形とはいえ、化石燃料も安く、産油国としての強みも目の当たりにした
そんな中、2月24日、宿のテレビの国営英語放送(Press.TV)から、ロシアによるウクライナ侵攻の報に触れた
翌朝、露店の前で拡げられた新聞では、戦車が前進する写真が一面を飾っている
英字新聞のTehran Timesでは、イランは中立を取るだろうことが記載されている
暴力には反対するが、必ずしもロシアに反対、という立場でもないようだ
このあと、イラン製の軍事ドローンがロシアに輸出され、ウクライナ侵攻に用いられていることが、西側メディアでは盛んに喧伝されることとなる
ウィーンで進められていた核合意復帰に向けた前向きな検討も、白紙に戻るようだ
秋には、ヒジャブ着用を巡り、若年層を中心とした反政府デモも勃発する
これから、西側諸国と反欧米的なロシアやイランによる独裁体制との対決、という風に描かれていくわけであるが、市民レベルで見ると、状況は少し違うようだ
私が話した人々は、アメリカや西側文化に抵抗がなく、締め付けの強い政府に対して反感を抱いていることが多かった
今回のテヘランで過ごした3週間は、今後のイランの国際関係上の振る舞いを意識させるに十分なほどの同国の存在感を私に刻み付けてくれた