Balandis

先日、シャウレイ南方に位置するクルトバネ自然公園にて、蛙の生息個体数調査を行ってきた。湿地を横断する形で道路が引かれているため、その環境影響評価の一環であるそうだ

班に分かれ、蛙を探す。大抵はヨーロッパヒキガエルである。そんな中、珍しい種を見つけると盛り上がりをみせる。これは現地の学生に混じって行った調査である。私の希望で、連れて行ってもらえることとなった。進言すれば、願いは叶うものだ

蛙の卵管で遊ぶなど、楽しい一日となった。数日後、このデータを前回得られたデータと比較する。環境負荷の少ない道路建設案を提示するまでが、今回の課題である

友人の従妹に連れだって、モーターパラグライダーを。
どこまでも平らな国土である。国内最高地点は300mに満たない

ロシア語講座も引き続き受講している。リトアニアと隣接しているロシアの飛び地、カリーニングラードに行かんが故である

東プロイセン時代、ケーニヒスベルグとして高名であったこの地。現在でもリトアニア西南領内に、ドイツ式建築が見られるのはこの為である。大戦後、ソ連領となる

国内の歴史博物館に足を運び、周辺地域の歴史を知ることとなった今、歴史のある地を訪問してみたいと思っている。この欲求が、語学勉強を後押ししてくれていることだろう

 

顔が広くなったと感じる。思えば昨年9月、この地に降り立った際には、誰一人として知り合いが居なかった。それが今では、友人の名を100人ほど挙げることも出来る。ビリニュスやカウナスに於いても、知り合いと遭遇することがある

そんななか、最近、日本人旅行客に対しシャウレイを案内することが数回あった。日本人旅行者を見かけたリトアニア人の友人が私のことを紹介するが故である。国内第五の都市、パネバジェースに住む友人が、「さっきバス内で出会った日本人にアンタの連絡先を教えておいた。シャウレイで面倒を見てやってくれ」、とメールを寄こすのである。

私もまんざらでもなく、見知らぬ邦人相手にシャウレイの観光案内を買って出る。シャウレイの街や建物の歴史など、私ほど語れる日本人はいないであろう。シャウレイに浸透してきた感が嬉しい春である

 

去る、4月25日、カウナスにおいて、アニメナイトと銘打たれた、イベントが開催された。国内から、コスプレをした若者が集まり、寸劇を披露する。また映画館内では夜通しアニメを上映する。いずれも日本のアニメだ。こんなにも多くの人が、自国の“文化”に影響を受けているのか。リトアニアでここまで大きなカルチャーショックを味わったのは初めてであった

Kovas

私はこの街で一人の日本人である、と豪語していた。が、それは間違いであった。現在、私の知る限り、他に二人の日本人が滞在している

一人は、宣教師である。シャウレイに来る前には、マジェイケという小さな町で4年間、布教活動をしていたとか。先日、夕食を共にした

もう一人は、シャウレイ大学で日本語教室を一時的に開講している方だ。三ヶ月間の一般向け講座を請け負っている。齢七十三を数える。先日、喫茶店でお会いした。そこで彼の波瀾の半生を聞く。気丈な方だ。話に花が咲き、そのまま中華料理店へ。観劇し、珈琲を飲む。別れ際、彼から「強い風に負けない、大きな根を張れ」という言葉を頂く

人知れず、国外で活躍している日本人は沢山いるのだ。もはや、滅多なことでは驚かない

 

日本人だというだけで、声を掛けられることが多い。市中で、「コンニチハ」と言われたり、「一緒に写真を撮ってくれませんか」などと言われる。小気味好い

先月末、友人が「私の友人で、パネバジェースにてボランティア活動をしているフランス人の女の子がいる。彼女は日本語を学んでいたらしい。行って会って来い」と言うので、行って会って来た

バスに揺られること2時間。私と同歳の彼女は、片言の日本語を話した。リトアニア語能力は私と同等。英語は堪能。故に、私たちは三ヶ国語を介し会話することができた

また、隣町、ラドビリシュキスの高校の教頭が、シャウレイに日本人がいることを聞きつけたらしい。彼女に、是非、遊びに来いと言われた。電車に揺られること30分。駅まで、学生が迎えに来てくれた。日本アニメが好きな彼らは、私を学校まで案内してくれる

道中、折に触れて、この街の歴史や建物について解説してくれたことには感動した。手帳の手書きメモが、その予習を物語る。郷土史を外国人に熱心に語るなど、私が高校時代に成し得たであろうか!

その後、教室に通され、一時間半ほど、日本について何か喋ってくれ、と言われた。全く、話を膨らませ、場を持たせるのに必死である。質問が多く出たので助けられた。箸の使い方を教えろ、寿司は好きか、など

その中で返答に困った質問があった。「歌舞伎とは何か」

歌舞伎など、今生、観たことがない。わからないという返事でやり過ごす

 

日本人だというだけで、日本の全てを知らなければならないのか!

宮本武蔵の五輪書、武士道、切腹時の刃の扱い、真珠湾攻撃の理由、過労死。この七ヶ月間の滞在で、自信を持って答えることの出来ない質問を多くぶつけられた。当初は答えられぬを恥、としていた。それが最近では答えられぬも好し、と考えるようになったしまった。無知の知か

適当な本を読み、それで日本文化を知れようか。外国人を満足させうる知識を持ちそれで君も満足か。国際人になるには、日本を知れ、とは言われて久しい。が、これは知識を満たすことのみではないはずだ

歴史、政治、地理に関心を持ち、自分の言葉で日本を語れるようになろう。そしてわからんことはわからんと認めよう。他人に対しても、完璧な答えを期待することは止そう。

 

日本人だというだけで、嬉しい時もあれば、面白くない時もある。

 

専攻の自然科学の講義は、隔週開講となってしまった。生態学を知る、という目標達成は遠ざかる。野外実習も実行されない。学校に期待しすぎていたか。自ら行動してみようか。植物園で働く友人の手伝いでもしようかしら

最近学んだことと言えば、リトアニア独立の歴史を挙げられる。年配者から聞く、ソ連崩壊、そして独立当時の話は非常に興味深い。

 

先週末、トルコ人の友人と、湖畔でバーベキューをした。冬の間、湖面に張っていた氷は融けた。湖上で釣りをしていたおじさんは、今では桟橋から釣りを楽しんでいる。春が来た、と思ったが、昨日は雪が降り積もった。四月までは油断なら無い。

 

ここ最近、リトアニア人の排他的、国家主義的な感情に触れることがある。彼らの強い愛国心を育んだのは、その歴史にあるだろう

2月16日、独立記念日であった。これは1920年の帝政ロシアからの独立である。また3月11日も独立記念日であった。これは、1990年のソ連からの独立である。特に後者の独立年から、今年で四半世紀を迎えると言うことで、ここシャウレイでも盛大な記念式典が行われた。

中心地から3キロ離れた競技場から、全長500メートルの国旗が市民によって運ばれた。鼓笛隊も参加し、所謂パレードである。中央広場では市長が挨拶をし、参加者総員の記念写真も撮られた。沿道では涙ぐむ老人も見かけた。彼らは独立をこの目で見ている

リトアニア、ひいてはバルト諸国がソ連から受けてきた暴力は、筆舌に尽くしがたい。知識層の殺戮や、シベリヤ流刑。当時を知っている彼らから貴重な話を聞くことが出来る

 

街の中心に向かって歩く。教会、給水塔を臨む

ソ連占領から間もない頃、森の兄弟と呼ばれる、パルチザンが暗躍していた

というのも、国中の森林に地下壕や塹壕を掘り、そこで生活をしていたからだ。(友人に連れて行かれた自然公園内では、その跡地を訪ねることができる)

彼らは、ソ連軍兵舎の襲撃、鉄道破壊など、地道な抗戦を続けていた。湿地や沼地を巧みに利用した彼らの戦法を、ソ連軍は恐れていたという。現在有効なリトアニア独立憲章には、パルチザン残党の署名がある

25年前のテレビ塔事件など、様々な衝突でリトアニア人は犠牲となり、その上で独立が叶った。恐らくこのことが、彼らの強い愛国心の源だろう。小国の独立史を紐解くことで、彼らの感情を理解することができるかもしれない

この旗の下で多くの人が血を流した

リトアニア国旗は黄、緑、赤の三色旗である。学生で、この三色を用いたブレスレットをしていれば、全国の博物館に無料で入館できるという政府主導のキャンペーンがあった。なんとも簡単である。これにより店舗から、三色の毛糸球が消えたと言うから面白い。留学生一同もこれに参加した。手編みでブレスレットを作る

二つの独立記念を通し、リトアニアをまた一つ知った

Vasaris

曇天が続く。吹きすさぶ小雪。古着屋で安く購入した紺色の外套に身を包み、頭には黒のハンチング帽。足早に食堂に入る。黒縁の眼鏡が曇る。鍋を指差し、暖かいスープを注文する。付け合せの黒パンは堅い。見知りの店のおばさんが、割り引いてくれる。今月から履修を始めたロシア語の手帳を開き、予習をする。一通り終えたところで、午後の講義に向かう。戦前に建てられた小さな校舎の扉を開く。教師は英語を話せぬ。講義の後は、ビリニュス通りを市場のほうへ向かって歩く。この街の目抜き通りを歩くときは、決まって知り合いとすれ違う。小さな挨拶をし、別れる。夕刻、市立図書館の座談会に出席。露の脅威の話になると、盛り上がる。悲観論が多い。寮に帰ってくる頃には、月が霧に霞む。ダンスレッスンに途中から参加する。体を動かした後は、冷たいものが飲みたい。みんなでぞろぞろと、夜道を歩く。行き着く先は、Deg-alinėーガソリンスタンドの意ーと呼ばれるいつものパブ。友人と合流。顔見知りのおじさんと握手を交わす。彼とは先日の祭りで、凍った湖の中で共に泳いだ仲だ。現像しておいた写真を手渡す。私の懐には麦酒を二杯飲む銭は無い。彼が足りない分を賄ってくれる。こんなときは度数の高い黒麦酒しか飲ませてくれない。友人と肩を組み、リトアニア語の歌謡曲を歌いながら部屋に戻る。先週、二夜連続で留学生が暴漢に遭うー彼氏がいるリトアニアの女の子に手を出したのが悪いのだがー、という事件があったばかりな為、皆、心なしか怯えている。もう月は沈んだ。私たちは橙色の街灯に染まった夜霧に包まれる。綺麗だな、と呟くと、どこだって夜の街は綺麗だよ、とウクライナの女の子が返す

 

綺麗だと言えば誰かが綺麗だと答える人のいるあたたかさ

 

凍りついた湖面を歩く。暇な時間があれば、友人とこの湖を訪れる。時にはビールをポッケに忍ばせる。写真中の建物は、シャウレイの住宅街。灰色

去る2月1日、新学期が始業した。今期の受講科目は、ロシア語入門、実践英語Ⅱ、インダストリアル・デザイン、博物館基礎、量子物理学、応用昆虫学そして経済植物学である

リトアニア語の講義は開講されなかったため、ロシア語に挑戦することにした。日常でこれを使うことは、無い。街の表記にもキリル文字は現れない。リトアニア人には、ロシア語を使うなと言われる。ウクライナ旅行の際も、駅の切符窓口にてロシア語で挨拶をしたら、ウクライナ語に訂正される始末だ。ここではそんな逆境に立たされている言語だが、話者が多いのは事実だ。機会を活かして、学んでみよう

 

本国では学芸員資格課程を受講している。興味があり、博物館基礎に出席している。日本で学んだことをリトアニアで同じように学びなおす。これが意外と面白い。学問は世界共通か、と思い知らされる

自然科学の基礎を知ろう、という試みで量子物理学の受講を決めた。実験が中心の授業である。ソ連の実験機器はドイツのそれよりも精度が良い、ということで、現在でも使い続けている。黒体放射、ウィーンの変位則など聞いたことがある単元から始まった。が、慣れない計算ばかりが続き、早くも支障を来たしている

専門の自然科学分野では、応用昆虫学、経済植物学を受講。前学期と同じ講師によるため、和気藹々と講義が進む。経済植物学では、植物が経済的価値になる場面を探る。食用を始め、繊維、燃料、医薬品と多岐に亘る利用価値について考察する、らしい。

院生用の科目は受理されず、また希望する科目が閉講したりと、思うようには行かない。が、出来る範囲で動き回ろう

 

1月下旬、新しい留学生がやってきた。彼らにお勧めのレストランを紹介したり、散歩コースを案内したりと、迎える側の立場になっている

新しい留学生を前に、グルジアやコロンビアからの古参留学生は、「目をつける女は事前に相談して、うまく分散させよう。それがwin-winだ」などと言っている

新しい留学生は、とても賑やかだ。手製のサンガリアを皆に振舞う、というスペイン人や、セルフィが好きなカザフの女の子。彼らとの付き合いが、私の生活を充実させてくれることだろう

皆、英語は第二、第三言語であるため、発音やアクセントにそれぞれ個性がある。それが、米国はロッキー山脈の麓からやってきた女の子二人はどうであろうか。これがネイティブ・イングリッシュか。聞き取れない

「英語が上手すぎて何を言っているか分らないよ」と愚痴をこぼすチェコの子

私は、将来に英語を使った仕事に就けるのだろうか? 不安になる

今夏、インターンシップでもして、自分の英語能力を試してみたい

 

2月14日にはUŽUGAVĖNĖSと呼ばる行事があった。各地で開催されるこの祭りは、春が来るとされる2月17日前に行われる

冬の象徴である鬼の仮面を作り、顔に付けて踊る。祭りの間中、無料の焼きたてパンケーキが振舞われる。広場の一角には藁やモミの木で作られた、高さ十メートルに及ぶ女性の人形が作られる

冬の象徴に火が灯される

顔が据えられ、服も着させられる。彼女は冬の象徴だ。祭りのクライマックスに、彼女に火が放たれ、寒く長い冬が消え去る、という具合だ。祭りの最後には何かしら燃やしたがるのがリトアニア流である。会場は郊外のだだっ広い芝生や、小麦畑。特設ステージで歌う。パンケーキを食べる為、列に横は入りする。藁で遊ぶ。暖かい麦酒を飲む。彼女を燃やす。この祭りに何百人と集まってくるのが微笑ましい。当日とその翌日は一ヶ月ぶりの快晴。彼女も灰と化した甲斐があったものだ、と思っていた矢先、小雪が降り始めた。春まではまだ距離がある東欧便り

湖畔の化学工場跡地。過去には汚染物の流出事件もあったとか
ここの煙突は遠くからも見える

ここでは、最近浮き彫りになってきたシャウレイ大学の状況について述べよう。実はこの大学は財政難である

五年前、学費有償化になり、同じ金を払うならビリニュスで、と上京思考が優勢に。加えて、高校卒業と同時にイギリスやノルウェイの大学に進学する学生も増加中。五年前、二万人居た学生は現在四千人である。寮は閉鎖され、閉講も多い。教師に授業料を払いきれないためだ

この地方国立大の教師は、給料を二ヵ月半遅れて受給する。数年後にはカウナスにある大学と併合されるのでは、との噂が広まっている

この様を、ビリニュス大学へ留学中の友人に話したところ、「もはやシャウヨウ(斜陽)大学」と揶揄されてしまった。私にはシャウレイ愛が芽生えているので、なんとも悲しい現実だ

しかし如何ともしがたい。出来ることと言えば、日本からの留学生を少しでも増やすべく、シャウレイをアピールすることぐらいか

 

最後に、ここ最近の対露情勢について、国営放送の英文報道内容の和訳及び友人から聞いた話に限り、記すことに挑戦する。一方で私的な感想も書き入れた文章になったことを断っておく

始めに、私が最も驚いたことは、徴兵制の再導入だ。

今月24日、グリバウスカイテ大統領が徴兵制度の復活に関する法案を提出した。2008年に、職業軍人のみの軍隊作りに切り替えたばかりだ。しかし昨今の地政学的状況を鑑み、兵力強化に乗り出す。19歳から26歳の男性が対象。

学生という理由では兵役から逃れられない。看護学科の女性も対称になると言う噂で、知り合いの女の子は心配している。年間に3,000人から3,500人が招集される予定だ。議会の審議を通過すれば、第一次召集は今秋、9月から始められる。この決定は、大統領、首相、議会長、国防相及び国防長官の参加する国防会議で成されたため、否決の可能性は薄い。友人が銃を取ることになる訳だ

 

私の母国は安全だ、と思っていた。しかしこの安心は、自衛隊や米軍という物理的な戦力によって護られている限り、有効なのだ。21世紀でさえも武力の保障は在って然るべきなのか。隣国の韓国も任期約2年の徴兵制がある。

シャウレイにも、兵役を終えた韓国人学生がいる。自衛隊や安全保障条約のお陰で、私は20代の前半を軍服に袖を通すことなく過ごすことが出来ている。裏を返せば、危機感を抱くことなく、のうのうと読書することが出来ている。

また異なった文脈、即ち国家という単位での、日本人の平和ボケを今更ながら感じることが出来た。爆音を轟かせながら実家の上空を通過し、厚木飛行場に離発着する米戦闘機への見方も変わってくる

 

19日、英国のファロン国防相は、ロシアはクリミアで行ったのと同様の作戦を、現在進行形で、バルト諸国に対して行っていると、警戒した。この作戦とは、実戦の布石を敷く、というものである。

サイバー攻撃、メディアを使った扇動、在外ロシア人を使った工作、後方攪乱などである。この声明の5日後の報道で、「ロシアのプロパガンダ計略」との見出しの記事が出たものだからたまげた

ロシアが、リトアニアの報道機関やSNS資本に多額の投資や、スポンサーに付く方法を探っていることが、明らかになったためだ。更にその2日後には「国営放送、ロシア語番組枠を拡大」との記事が。ロシア人(全人口の約8%)向けの番組を作成せよと、モスクワが圧力を掛け続けていたため、これに応じる形となった。ロシアの戦略を暴く放送をするとのことだが、不透明だ

休日、郊外へサイクリング。農閑期の小麦畑の中を走る。街から出ると、戦闘機音が聞こえる。シャウレイ軍用飛行場はバルト地域最大の規模を誇る。NATOのバルト管区最高位

エネルギー事情も動いている。今月、エネルギー相は渡米し、ルイジアナ(メキシコ湾岸)に建設中の天然ガス輸出港を訪れた。要人にせっせとロビーワークをして回る。昨年10月に進水した液化天然ガス輸送船、インデペンデンス号(韓国・現代造船社製)に大西洋を横断させ、バルトのエネルギー保障を安定させる狙いだ

この付近の輸出港は、近年市場化を目指すシェールガスやシェールオイル向けに造られている。日本の商社からも、石油の中東依存を軽減するため、ルイジアナに派遣されてる人がいると聞いたことがある。巨視的に知識が繋がると、これもまた面白い

 

報道を通してのみ、目下、渦中に居ることが擬似的に感じることが出来る。つまり、普段の生活では直接の脅威を感じることは無い。このじわじわと慣らしてくる感覚が、第二次大戦のそれと重なる、と老体は言う

チェチェンが引き金となり、南オセチア、ハプハジア、クリミアが陥落した。東部ウクライナが完全に堕ちれば、次はバルト三国である、との見方は、ここでは一般的だ

以上、見てきたように、リトアニアにとって、ウクライナ危機は対岸の火事では無い

図書館の座談会や居酒屋で知り合ったおじさん、おばさんに話を聞くと、皆、危機感を抱いていることがわかる。学生も例外ではない

報道の翻訳なら、日本に居てでも、誰でも出来る。しかしここに居る彼らに話を聞くことが出来る日本人は、そう多くは無いはずだ。ならば、私がやってみようか

ドネツクから留学してきた女の子も居る。彼女の実家付近は現在、闘争状態のため帰宅できない。彼女の母親はロシア人だ。ロシア人を片親に持つウクライナ人も多いため、複雑な心境だ

私は民族を意識して生きてこなかった。今、考えさせられる

今後も東欧から目が離せない

Sausis

今月は末日まで冬季休業。講義は一切なく、勉強は疎かになっている。それらしいことと言えば、ロシア語の数詞を覚えたり、ソ連史関連の本を読んだり、といった具合だ

昼下がり、カフェに行き、一杯1ユーロの珈琲を注文。それをちびちび飲みながら、夕方まで読書して居座る

リトアニアで生活を始めて、ロシアの影響力を感じたと同時に、それらに無知な自分に気がついた。ロシア研究、とまではいかないが、一先ず、知識を増やそう、という試みで書物に手を付けた。東欧のエネルギーバランスが面白く、地政学にも手を出してしまった。両親に頼み、和書を郵送してもらう

未だに専門を磨かず、散漫な興味に突き動かされている自分をよく理解している。しかし、こういう時間があってもいいだろう。それなりに楽しい。そんな自分を認める一方で、焦りも感じている。ああ思ってはこうも思う。考えがまとまらないので、文章もまとまらない

市場。東欧域でよくみられる、豚の脂身を燻したもの

右にもあるように、基本的には、カフェか図書館で一日を過ごす。シャウレイに来て、四ヶ月余。当初に比べ、街中での発見が明らかに減っている。首都のビリニュスまで来ると、わくわくする

革靴は雪に強いな、と感心しながら散歩していると、お爺さんが一生懸命に雪かきをしていた。歩道に凍りついた雪を退けるのは難しそうだ。一度は通り過ぎたが、あるドラマの「汗をかくがは、気持ちええじゃろ」という、台詞が頭をよぎり、私も汗をかいてみることにした

ベニヤ板の端に金属板がネジ止めされているだけのスコップを手に取り、道を作る。聞くと、この爺さんは、十代の頃、ジョージアからここに来て、働き始めたとか。ボクシングを齧っていたようで、そのせいか、心なしか身の動きが軽い

雪かき中、やはり自分と爺さんを比べてしまう。一方は老人ボランティアで、小雪降りしきる中、昼過ぎから雪かき。他方は、ともすればこの国の最低所得より多い奨学金を得、読書している若者。今この時点で世の役に立っているのは明らかに前者だ。では後者は何をすべきか。いつまでも自己満足の学問に浸っていて良いのか。うむ。面白い問いかけが出来て宜しい。と思いながら、今晩の宿に向かった

 

ビリニュスの旧市街は欧州最大級。東欧諸国では最大である。夜、石畳の曲がりくねった道を行き、現在はギャラリーとして使用されている旧市庁舎前に出る。閉館時間はとうに過ぎているが、ドアからは明かりが漏れている。ならば、入ろう

重厚なゴシック建築の中に吸いこまれる。私の理解を超越した抽象画を見てみる。と、二階から音楽が聞こえてきた。されば、上ろう

大理石の階段一歩一歩に、カツーン、カツーンと靴音が響く。なるほど。音楽はこの部屋からか。バイオリンとピアノの二重奏。半開きになったドアを開け、そっと中に入る

二百人程の観客を前に、その高い音が響く。お金を取られる気配はない。しからば、聞き入ろう

私には音楽が分らぬ。が、バイオリンの音色を美しいと感じることは出来た。何なんだ。あの演奏者の激しい動きは。高い音。が、耳障りでない

東欧の或る旧市街の或る古い会館で或るバイオリンに聞き入る。ウォッカなくして陶酔できるのか、と馬鹿なことを考えながら夜は更ける

 

今月から、我々はユーロを使用し始めた。銀行口座の残高は自動的にユーロに切り替わる。店頭では、リタス(旧通貨名称)で支払えば、お釣はユーロで返ってくる、という仕組みである

レジのお姉さんの対応は見事であり、まったく混乱した様子はない。財務大臣も、スムーズに移行できた、と語っている

 

ユーロ通貨導入が決定された昨年6月より、商品価格の表示はユーロが併記されるようになった。またリタス、ユーロ間のレートは固定されているため(1ユーロはおよそ3.45リタス)、市場に大きな影響が出ているわけではない

便乗値上げで、個人商店では一割ほど高くなっている場合も見受けられる。が、依然として、カフェの珈琲は高くとも1ユーロ、バーでのビールは2ユーロでお釣がもらえる

場末のケバブは2ユーロ。大型スーパーでの値上げは無く、瓶ビールはやはり0.29ユーロである

リトアニアでは、1990年の独立以来、ソ連のルーブル、臨時通貨、リタス、ユーロ、と通貨がころころと変わっている。数年に一度、通貨の変更を経験してきた。慣れているのか

底値。空の瓶を返却すれば更に0.08ユーロ返金される。通貨の併記に注目されたい

リタスに別れを告げるため、国内ではリタス・セント コインを使用したイベントが各地で開催されている。ここシャウレイでは、シャウレイ大学図書館の一室がこのイベント用に市民に開放されている

市民は家からセントコイン(1セントは日本円で四十銭)を持参し、その場にある糊を使って、部屋の壁にそれらを貼り付ける。天井も、テーブルもセントコインで覆ってしまえ、という企画である

コインの部屋とYシャツと友人

立案はシャウレイで有名な芸術家。先日私も参加してきた。果てしなく、単調な仕事を、他人のコインを使い、2時間ほどぺたぺた。2月16日に除幕式。乞うご期待       

Gruodis

シャウレイの夜は長い。毎週、友人が麦酒を携えて私の部屋に上がり込み、小一時間ほどかけてエンジンを温め、連れ立ってナイトクラブの扉を開け、美女と腰をフリフリ、草木も眠る時刻に帰寮し、嗚呼、柄にもないことをしたと、まんざらでもないような反省をし、珈琲の一杯も飲んでから床に入るので夜が長く感じてしまうのではなく、物理的に長いのだ

高緯度地域ゆえに当たり前のことではある。しかし北緯三十五度かそこらでしか生活したことのない身にとっては、二十度分も北上したことは特筆すべきことなのである

気づけば冬至も近い。十五時を回ればクリスマスイルミネーションが灯り出す、といった具合である

試験対策に追われ意識していなかったのだが、来週はクリスマス。

リトアニアにはクリスマスの前日に特殊な行事があるとのことだが、これについてはまた後ほど説明したい

フィンランドではよくやられている冬場の湖水浴であるが、ここでは救急車が準備するようなイベントとなっている。曰く、クレイジーしかやらない、と

今月は期末。故に学生にとってはここ一番の時期であった

リトアニア芸術史の最終課題は、リトアニアの画家、彫刻、建築及びフォークロアについてまとめたポートフォリオを提出した上にそれらを発表せよとのことであった

芸術に造詣のない私は、この課題におののいていた。が、九月の旅行先、ドラスキニンカイにてリトアニアで(唯一にして)最も有名な画家であるチェルリョーニスの生家、画廊にたまたま訪れていたことを思い出した

その際に見た絵画の印象などをひねり出し、何とか切り抜けることができた。また、シャウレイの目抜き通りに立ち並ぶ建築物を全て写真に収め、それらを繋げて蛇腹上にし、脚注を付けた本の制作をもって、建築課題を良しとした。

他の講義では、スペイン内戦についてまとめろ、と七百頁に及ぶ文章ファイルを渡された。読破できるわけがなく、要所を掻い摘んで紹介した(尤も要所かどうか知れない)

 

園芸実習では、土壌サンプルのペーハーや腐植度測定の実験を行った。

以上の様に、何かしらの課題が頭に残っているという、非常に嫌な時期を終わらせその上、受講科目全てにおいて最高評価を頂き、肩の荷が下りたところだ

 

学期を振り返り、私の専門科目においては、新たな知識を得たというよりも、やはり英語で受講したということに重きが置かれている。英語で受講することに意味があるか。否。無い。そのようなことで満足は出来ない。この大学で、未知の事を知り、経験を積みたい

 

年明け、自然保護区の中を突っ走る道路を横切る蛙を数える調査があるらしい。また、雪の踏み跡から生息個体を推測する調査もあるそうだ。そしてそれらに同行させてもらうことになった

日々、穴掘りでも何でもします、と訴えてきた甲斐があった。その直訴の最中、教授に言われた言葉が胸に刺さっている

 

「今、君には何が出来るのか」

 

何も出来ないのでは、とは、自問自答して返ってきた答えである。

 

出会いがあれば別れがある。祖父が逝ったとき、母が言った。それにしても別れとはあっけ無いものだ

試験が終わると、皆、お国に帰ってゆく。エラスムス・スチューデントは基本的に半年で修了することになっている(エラスムスとは、欧州連合内の大学間での留学制度)

この三ヶ月間、彼らと過ごしてきた期間は掛け替えの無いものだ。日韓問題について話した挙句、お互いにまだ自国の事すら分ってないなと気づいたり、アイススケート場で派手に転び周囲の客に笑われたり(シャウレイ唯一のスケートリンクは、ガラス越しにレストランの客席、という構造になっており、ピザを食べながら、下手なスケーターの観賞という非人道的な娯楽の場となっている)、そんな時を共に過ごした彼らは、一日また一日、一人また一人と、さよならも言わずに立ち去っていく。感動的な別れをしたい訳ではないが、やはり寂しい

十年後、いや一年後には彼らの名前を忘れているだろう。しかし彼の持つ独特な意見や、彼女に教わったダンススキルは、当分は私自身の物だ。人間関係なんぞ所詮こんなものかと理解し始めている

 

生活面で避けては通れないのが、ユーロ導入である。リタス(LT)(現行の通貨です)は今月一杯でその役目を終える。リタスが店頭で使用できるのは一月十五日までだそうだ。その様をこの目で見たい。私はこれを好機と捉えている

実は私の知るリトアニア人は皆、口を揃えてユーロ導入反対を唱えている。ギリシアからの留学生が、自国のユーロ導入後の経済崩壊について説明し出すと、その場の雰囲気はぐっと重くなる

私も、「来年からユーロだね」と話題を持ちかけると、彼らは俯き加減になる。相当に不安がっている。また、自国の通貨を失くすというのは、ある種アイデンティティの喪失にも繋がっている

対露の政策をEUに依頼しながら、通貨導入は御免、ということらしい

私には経済の動向が分らないので、予測など出来ない。この場で、その成り行きを感じてみよう。帰国するまでの半年でどこまで変わるのだろうか

おなじみのベルトコンベア式。

先日、シャウレイ地方全域に配布域を持つシャウレイ・クラシュタス紙の記者から、カフェでインタビューを受けた。シャウレイにいる日本人が物珍しいらしく、また彼のリトアニアに溶け込もうとしている精神が、記事のネタになると踏んだらしい

 

先週、メールにて記者から直接、取材の依頼があった。一体どこから私のアドレスが漏れたのだと、不審がっていた。どうもリーク元は図書館の座談会らしかった

と、このように身構えつつカフェに足を運んだ。当日、調子に乗り、珈琲に加えチーズケーキを頼んだ私。お会計は別で、と記者が店員に告げる。なんだよ、それは無いだろ。しかし仕上がる記事への期待で、そんな思いも掻き消される

 

そして本日、キオスクにおそるおそる近づき、紙面を見る。なんと一面で扱われているではないか。見出しは「リトアニア人にならんと欲する日本人」

あながち間違いではない。こういうわけで、シャウレイに名を轟かそうという野望を遂げつつある

件の紙面。ツェペリナイが好き。自転車で辺りを走っている。リトアニアの若者に愛国心が無いことを不安がっている。と、小見出しに書かれている。記事の全容は明らかでない。リトアニア語を勉強せねば。売店のおばちゃんが、「これあんたじゃないの」と、三部も購入したことに合点していた。

Kūčios(クチョス)とは、リトアニア特有の行事である。よく、比較対象とされながらも、同一視されている隣国ラトビアにも、この行事は無い。以下はその概略である

 

十二月二十四日には、家族の絆を深めましょう。そして肉を食べるのは止しましょう、というもの。牛乳すら禁止事項になっている。その為、ケシの実を擂り潰して作った白い液体を牛乳の代用としている。二十四日の夕刻、父は外に出て空を見つめる。一番星を見つけたら、それが宴の合図。蝋燭を灯す。父親が箸、いやフォークを付けるまで、家族は手を出せない。そして、日付が変わると同時に、飲酒、食肉が許される。この夜は家畜が喋り出すので、それに耳を傾けるのだとか。翌朝は、昨晩の残飯を全て家畜に与える

リトアニア文化の講義より

 

これらはこの地にキリスト教が広まる以前からの風習である。私も、あわよくば参加したいな、と思っていた。伝統。風習。現地の趣を実感したい私は、教授の家族の元へお邪魔する許しを得た

しかしどうだろう。私が参加したらこの家族団欒は崩れ去るではないか。そうか私は所詮、ヨソ者か。なるほど、文化に馴染むには限界があるのだな。と遅ればせながら初めて感じた。二十四日は、一人で過ごすとしよう

この講義の後、教授が日本の年始行事について尋ねてきた。私は、毎年実家で行われていることを話した。お正月は、神棚に向かって手を叩き、その後お年玉をもらう。御節料理を食べ、御屠蘇を呑み、初詣に出かける

気づかなかったが、私も伝統らしいことをしていたのだな。そしてこれはこの日本人しか出来ないことなのか

 

伝統。守るべき伝統。高校の時分、この言葉をとても胡散臭いものと捉えていた。伝統と言えば許されるという風潮があるのではありますまいか

しかし今、なんだかとても大切なもののように感じてきた

父も、正月にはこれを意識して、一人で紋付袴を羽織っていたのかもしれぬ

Lapkritis

大抵の場合、留学生活2,3か月目でストレスが溜まってきて、帰国欲が高まります。と、聞いていた

しかし今のところ、特にストレスを感じていない。苦難もない。カルチャーショックも受けていない。海外での長期滞在。この街に日本人はいない。何かしらの困難を感じ、それを乗り越えていくことを期待していたが、そんなことはなかった

海外生活とはいっても、大学がある以上、街である。現地の風土に触れることなく生活することだってできる。寮生に干渉もされない。勿論、苛立つ時もある

私の部屋でお互いの体を触りあっているカップルを見たり、ポテトチップスを食べた手でパソコン画面を触られた時だ。麦酒の一杯も飲めば忘れてしまう程度である

つまるところ思うのは、留学において海外生活を目標の一つに掲げていた私は甘かったということだ。奨学金を含め、様々な人やものに支えられている身の上、この生活が自分自身で成り立っているとは到底思えない。が、少なくとも上手く順応できた、と言いたい。同じことが帰国後にも言えるよう、これからも緩く、こだわりなく暮らしていくつもりだ

 

ある月曜日、市民図書館の英書欄を訪れた際に声を掛けられた。相手は図書館員のおばさんだった。毎週月曜日にここで英語でのお茶会を開いているから、是非来い、とのことだった。さっそくその日の夕方に再訪すると、おばさん達が集まっていた。丁度ハロウィンパーティらしく、皆、仮装をしている

その中に一人混じり、手製のカボチャジャムを黒パンと共にほおばる。英語を喋れるリトアニアのおばさん方。実は珍しい

大抵はロシア語を話すが、英語は話せない。彼女たちになら、リトアニアの歴史やソ連崩壊前後の変化について訊けそうだ。大学とは異なる人脈が出来たことに感謝である

 

世界が拡がっていく。当初、留学生の内輪でのみの交流に嘆いていた。しかし今ではリトアニア人の友人もできた。よく茶会を開くようにもなった。今しがた、一緒に雪だるまも作ってきた

なにも焦ることは無い

           

リトアニア芸術史や文化の講義では、民芸館に足を運び、リトアニア・フォークロアについて知ることとなった。キリスト教が広まる以前に存在していた多神教と、カトリックが融合した宗教観があったそうで、故に特有の十字架を持ち、祠のようなものまで存在する

一昔前の民家。手彫りの燭台や、暖炉。全てが美しく、そしてお洒落に見える

作りかけの運河。黒海とバルト海とを結ぶ計画。19世紀末からロシアにより建設が開始されるが、度重なる戦争の為、未完成のまま放置された。第二次大戦後は、日本人奴隷が従事させられていたという。 シャウレイ近郊、クルトバネ自然公園

欧州戦史の講義では、いきなり「欧州とはどこまでの範囲を指すか」や「戦争とは何か」と言った質問が投げかけられ、戸惑った。欧州の東端はウラル山脈。と一般的には言われている。勿論、私も知っていた。しかし理由を説明することが出来なかった

当たり前だと思っていることでも、その理由を述べることは、存外難しいのだと気づかされた。考えてみれば、専攻の地理学についても、表面的な知識だけしか持ち合わせてないではないか。考えなくては。頭を使わねば、と思わせてくれた講義であった。

 

休日の使い方もパターン化してきた。講義の無い月曜日は、宿題をまとめて処理する。土日は専ら日帰り国内旅行だ。海外まで足を延ばす友人も多くいる(留学先を旅行の足掛かりにしているのでないかとも思ってしまう)

対して私は、北海道より小さい国の隅々まで訪れたい。国定自然公園が数多くあり、経路も整備されている。そこまで、植物園で出会った友人に連れて行かれたり、特に自然に興味のない友人を連れて行くこともある

カウナス(昔の首都。杉原千畝が旅券を書いていたところ)にある第九要塞や、森の中に突如として現る冷戦時代の核弾頭地下サイロにも赴いた。大国の力を感じた

 

 第一次大戦中に掘られた森の中の塹壕。核弾頭発射指令室。ドイツ兵によるリトアニア人殺戮が行われていた要塞。私は古城よりも寧ろ、近代の遺構に興味があるようだ

そういう訳で、最近ロシア史の見聞を広めている。出国前にやっておけばよかったと、後悔している点の一つだ。来てからでないと気付かないこともあるだろう

連絡通路。カウナス、第九要塞
拷問部屋の扉は音漏れ防止の為に分厚いクッションが内張されている
見張りのおばちゃんは、私が行く先々の部屋の照明を無言で灯してくれる

去る10月27日、インデペンデンス号がクライペダ港(リトアニア最大の工業港)に就航した。北海の天然ガスをバルト三国に供給する役割を担っているLNG船のことである。

この報道はこの国ではロシア依存脱却という大きな意味を持つ。これまでは国内使用電力の8割をロシアに頼っていた。この船は国内使用電力の2割を賄えることができる。対露の交渉カードであり、実際にロシア産ガスの価格を20%減らすことに成功した、と地元の記事は伝えている

 

ソ連からの独立は1991年。私より2つだけ年上のこの国には、やはり大国の陰が残っている。バスや住宅。こんなにもレトロなバスが走っていていいのかと思える

また多くの住居は、この寮も含め、ソビエト・アーキテクチャと呼ばれる、無装飾の味気ない建物だ。LNG船にインデペンデンスという名を冠することからも、国の意識が窺い知れる

Spalis

「日本人は騙されている。本当のことを知らない。歴史上、権力者が都合の良いうように事実を作り上げてきた例は沢山ある。独島もそのひとつだ」と韓国人の友人が語気を荒げて言い放つ

時計の針は午前1時を指している。彼が私の部屋に来てから、もう3時間くらいは話しているだろうか

地図を拡げて欧州旅行の話を聞いているうちに、歴史、天災、あれよあれよと飛び火して、今では領土問題が議題だ

お互い眠たくなったところで、結論を出すことなく床に就く。端から決着をつける気はさらさらない

書生は議論が好きだ。トルコ人とはクルディスタンやキプロスの領土問題

グルジア人とは2008年のロシア軍侵攻。バスク地方、ナゴルノ・カラバフ自治州。皆、自分の知識や意見を話したがる

それを一つ一つ聞いているのが楽しい。高校の地理学で習ったことが本当に起きているのだな、と感慨に耽る

皆、英語が達者でない。グーグル・トランスレーターを使って一生懸命伝えようとする。有意義な時間を過ごせた、と感慨に浸る

上記の地図とは、隣国ラトビアの首都、リガの地図店にて購入したものだ。1m四方以上もある、欧州を網羅する200万分の1地勢図だ

道路、鉄道、地形の情報が目に飛び込んでくる。ベッドに広げて眺めては、新たな旅行計画を練り、思わず笑みがこぼれる

どのルートでワルシャワ入りしようか。ベラルーシ経由にするか。となると通過ビザが必要か

ジャガイモや玉ねぎはキロで買う

リトアニア語の講義では、動詞の時制について習っている。覚えたてのリトアニア語を話すのは面白い。大抵の人は喜んでくれる。バスの運転手と会話できたのは嬉しかった

 

特筆すべきはGlobal Ecologyの講義で行った、エネルギー問題に関するディベートである。当日までに「Battle of Chornobyl」というドキュメンタリーを視聴することが求められた

その上で「リトアニアに原子力発電所を新たに建設するのは有益だ」という命題に対し、賛否に分かれて意見を戦わせた

参加した大半のリトアニア学生は建設に反対。その彼らを脱ロシア(リトアニアはその大半のエネルギーをロシアに頼っている)、グリーンエネルギー等を強調して説得する一人の日本人学生

エネルギー問題に関心を寄せる私は、このような議論は初めてではない。しかし前提条件がリトアニアというのは初めてだ。議論の最後は、ロシア依存脱却と原発事故の危険性とを天秤にかけた戦いであった。判定役の学生の軍配は私に挙がった

学生の危機意識について触れた時間であった。このことについてはまた後程記述したい

 

部屋に引きこもってだらだらしていたくはない。その結果、友人、時には小学生を巻き込んでサッカーをする。暮れなずむシャウレイを漫歩して、雑貨屋を漁る。夜には行きつけの居酒屋で安いビールを注文する。そして友人と話し込む。という風に、積極的に外出しているつもりではあるが、そのレパートリーも底をついた。

クラブ活動や、留学生対象の企画の立ち上げなど、ここらで新しいことでも始めようか、と思案中だ。生活にも慣れ、余裕が出てきている。無理の無いなかで、心理的な行動範囲を拡げていきたい。新たな人にも出会えるだろう

 

この一か月間で、日本の事を紹介する機会が4回もあった。他の留学生と共に、小学校や高校を尋ねて自国を紹介するのだ。

そのうちの1回は、大学生向けの紹介であった。友人は、Youtubeから拾ってきた動画を流したり、チェコ語の挨拶文を教えている。ジョージアン・ダンスを踊って見せたり、ガンナム・スタイルを披露している

私には、この機会が大変貴重なものに思えてならなかった。さながら国の威信を背負っている覚悟だ

殊に大学生向けのプレゼンでは日本の何を紹介すべきか、何を知りたがっているのか、長い間考えた

サムライ、アニメ、スシ、コンニチハなど、日本は他国と比べると、知られていることが多い

グルジアと聞いて、何を想像できるであらうか。一方の彼らは日本を知っている。私の知らないアニソンを口ずさむ。日本は有名なのだ。ならばありきたりな事を紹介してもしょうがない

私は一人だ。芸も身に着けていない。考え抜いた末、日本は天災に見舞われていること、超満員電車に乗って通勤すること、無宗教者が多いこと、郷に入れば郷に従う人が多いこと、を系統立てて説明した

こういうわけで、この一か月間は自国について考えさせられた生活を送っていた

 

現在の私の興味は、リトアニア人は自国のエネルギー保障または対露についてどのくらい危機感を持っているのか、ということに注がれている

先のディベートでは、確固とした意見を持つ学生もいたがそうでもない学生もいた。また、リトアニアのニュースを追っていると、対露に危機感を覚えていない人を街で見かけることは無いとまで書かれていた。本当だろうか。

この遊学中に、国民意識、をある程度理解したい。個人の問題と言ってしまえばそれまでだが

政治に翻弄されようが、足許では、収穫したキノコを市場の空きスペースで売る

これは現地の人と話すと面白い、と感じた出来事。先日訪れたラトビアの田舎町Cēsisにて出会った、私より一回り年上の女性との会話

田舎から若者は消え、また国の人口流出も止まらない。高給な北欧やイギリスに流れてしまうのだとか

バルト3国のうち、最も北に位置するエストニアは、北欧の影響をうけ、生活水準は高く、最も南のリトアニアはポーランドやベラルーシの影響で、貧富の差が激しい。中間のラトビアはどっちでもない。

この辺りでは一般的に言われている地政学的な事すら、日本に居た時には知れなかった

やはりこの国に興味がある。知りたいと思う。その為には彼らと話さねばならぬ。つまりロシア語を勉強せねばならぬ。しかしその腰が重たい

Rugsėjis

自分で持ち運べない重量となってしまうキャリーケースは美しくない
旅行でも移住でも、身一つで持てる分だけで十分だ

8月末にこの国の首都であるビリニュスに到着した後、列車でシャウレイへ向かう

入寮。おっかない寮母さんはどこにでも居るのだ。学生寮は国内学生とも共有である

見渡すと韓国やトルコからの留学生が多い。フランス、スペイン、ポルトガル、イタリア、チェコ、ポーランド、グルジア、ウクライナ、ラトビアといった欧州勢、またコロンビア、ナイジェリア、インド、米国の学生と共同生活を送ることになる

 

地理科の私は、街の構造を把握しないと気が済まない

友人や美術科の教師と、中心部や湖畔を散策

昨夜飲み屋で知り合った友人に翌日再開してしまうほど、またメインストリートを歩けば知り合いに遭えるほど小さい町である

この町は第二次大戦中にその多くをソ連軍によって爆撃され、中世の街並みは消滅

戦後、スターリンの指導の下、安価で簡素、無装飾、機能のみを重視したSoviet Architectureと呼ばれる建築物が立ち並ぶようになった

シャウレイ大学も例に漏れず、コンクリート打ちっぱなしの素っ気ない校舎だ

ここはリトアニア第四の都市といえども人口は12万余。この人口を支えるため、町の南方に巨大団地が拡がっているが、その先は広大な湖と延々と続く小麦畑

土曜市で購入した中古の自転車を走らせ、その小麦畑からシャウレイを望むと、この町が微高地ー最終氷期の残した堆石ーに立地しているのがわかる

また、17世紀に建て替えられた町のシンボルである教会の、その純白な尖塔が空を刺す

400年前から変わらないであろうこの光景に思いを馳せ、勝手に興奮している

 

書を捨て野に出よう。ただ観光をしたいわけではない

これまで地理科で得てきたフィールドワークを実践する時だと考えている

リトアニア語で生活できるよう奮闘している。ポッケに辞書を携帯して

湖底堆積物の花粉分析をしている教授と出会う。今後、野外調査に同行させてもらうつもりである

最近は図書館の自習室や、安いリトアニア料理店にて課題を済ませることが多い

自室ではルームメイトのセバスチャン(コロンビア生まれ。ラテン育ち)がサルサを踊っているためだ

寮母は三人いて、日ごとに交代しているようだ。門限に厳しい

物価、殊に農作物は安い

ジャガイモを買ってはベイクドポテトにして食す

またビールも安い。500mlで70円

そしてベイクドポテトにビールが簡単おいしい夜ご飯になることを知る

数日前にはビリニュスの国立美術館にてNowJapanと銘打たれたイベントが開催されるとの情報を得たため上京。日本好きのリトアニア人が集結し、浴衣の試着や写真展、講演会を楽しむ場となっていた

大使とお話しする機会があり、この国の小ささを実感。また私より英語が下手な外交官もいることを知る

 

小さい町だと既述したが、それでも大型ショッピングモールがある

郊外の更に大きなモールでは、アイススケート、ボーリング、ショッピングを楽しむことが出来る

いわゆる都市型の生活が営まれている。他の留学生に訊いても、自国にもモールはあり、便利だと答える。そこで私は思う

勿論、住民は異なる言語を話し、宗教も異なるだろう。だが一見するだけでは世界中どこの都市も似てしまっていないか。TOYOTA車を走らせ、SAMUSUNGを携帯し、MacDonaldで昼食を摂る。グローバル化を改めて感じる。そんな中でも地域間の相違に目を向けていくことが、地理学生として重要だと考える

旧ソを感じる寮の様子。ロシアでもそうだったが、学生はルームシェア、が基本のようだ。同じ部屋に2~4人が投宿する

国内旅行で訪れたトラカイには、湖上の古城があり、観光名所となっている。私が入城しようとすると屈強なガードマンに抑止される。胸にぶら下がっているIDカードにはNATOのロゴマークが。この日、NATOの会談が行われていたため観光目的の登城は許されなかったのだ

目下、対露目的のNATO前線基地をリトアニア国内に建設する話が持ち上がっている

ガードマンにこのことについて尋ねてみると、やはり基地建設について話し合っているとのこと。歴史が動いているときに東欧で生活できることに感謝したい

 

来年、2015年正月からユーロ通貨への移行も始まる

そしてリトアニアは対露エネルギー依存脱却の為、原子力発電所の建設を他のバルト諸国と共に決定した

日立や東芝が請負主となっている。目まぐるしく生活環境が変化している様に感じる。井の中の蛙的発言かもしれないが、

今、リトアニアが熱い。